最初の晩餐を観覧して

※ネタバレ注意

タイトルから受けた印象は

「駆け出し料理人が初めて任された晩餐」

に挑む作品だと思った。

のち公式サイトなどを通じて通夜ぶるまいの献立について物語が綴られると知った。

初見の観覧を終え一言で表すなら

「欲張りな作品」だと思う。

冒頭、病院の食堂でラーメンをすする姉弟らしき二人から始まる。

簡易食堂で見られる程度のラーメンで、その出来について口論する。

このラーメンも意味を持っていた。

5人家族がともに暮らし喜怒哀楽を重ねていく作品である。

この5人は二つの家族の足し算で生まれた家族である。

父・娘・息子と母・息子がある日突然、今日から家族だと言われ、日々ぶつけながら成長する作品である。

父は闘病の後、他界する。

残された4人は父の死を通じて互いの存在を改めて知り、自らの過ちにも気がつかされる作品である。

母は連れ子と共に家族に溶け込もうと手を尽くし、しかし難しい年頃の小学女子に困惑する日々を送る作品である。

父は登山家で時折家族で山に行き、やがて連れ子を頻繁に山へと誘う、その様子を見た息子は男の話に入っていく様子を描く男子の成長の作品である。

娘は多感な時期に継母を迎え、距離のつかみづらい連れ子との関係に幾度無く爆発をするが、母の気遣いに助けられ心を開くなど女の子の難しさを描く作品である。

元々2つの家族であり、母にもこれまでの人生があったが、それを封印し続ける苦悩の作品である。

子供もやがて大人になり自分の家族を持つ時期になると家族とは?と言う疑問を抱き始める、しかしその答えは見つかるものではない事に不安を抱く作品である。

弟はプロカメラマンとして活動するも好転せず、やり場のない苛立ちを通夜葬儀で集まった者や彼女にぶつけながら自分の未熟さを認めたくない葛藤の作品である。

父が闘病をしている間、登山家になった連れ子は時折帰省し山の様子を伏せている父に聞かせ、終末期には希望の食事を用意するなど看取りの作品である。

地方都市には必ずボーリング場があった事を思い出させてくれる作品である。

切りが無いのでこれくらいにしておくが、この作品は前述の通り様々な要素を持った作品であると思う。

よって、

「欲張りな作品」だとした。

物語のリアルな時間としては3日間くらいの事である。

父の死亡から通夜・葬儀までの時間の中で、かつてこの場所で暮らしていた者がそれぞれの秘密と今を持ち寄る。

設定としては九州の地方都市と言うことなのだろう。

私自身が九州人なので、通夜葬儀の田舎特有の空気感は理解できる。

通夜ぶるまいと言う宴会を楽しみにしている参列者もいるわけで、そのお接待が儀式の成否評価に大きく関わる事から美也子が仕出し店のキャンセルに激怒するのも判る。

おゴチソウを出さねば恥をかく場面において、

「目玉焼き」を出してきた母アキコ。

そして葬儀が終わるまで、東家にとって特別な一品の提供が続いていく。

当然、それはすべて5人の中にも生きている品々だ。

目玉焼き・ピザ・餃子・ラーメン・すき焼きなど。

余談だが、

この作品では自製食で押し通したが、実際の九州の田舎では難しいだろうし、すぐさま親族の世話焼きが別手配をしてしまう事だろう。

その3日間の中で、いくつかの要素が見え隠れ、そして明かされていく。

観覧後に思ったが、

この作品は表現されるシーンについて観覧者がその経験を持っているか否かで受け取る共感が大きく違って来るだろう。

例えば、

父がすき焼きを食べるシーンで、ほとんど口に入れられてないのに「うまい」と言い口を動かす。

看取り経験がなければ、

「単に意識が薄れててボケているから食えてないのにうまいと言った」

と受け取られるのだが、私は祖父の看取りをした事があり共感出来る。

父にしてみれば希望したものを準備してもらえて香りがしただけでも満足だったかもしれない。

私には経験がないが、冬山登山で絶望感を感じた時に書き残す行動の有無や、

他に重要な事があるだろうに目玉焼きの事を書き残す是非は遭難経験者であればリアリティもあるのだろう。

美也子の夫が美也子と同級生の様子に懸念を持つのも、

経験があれば見方も変わってくると思う。

奇しくも、私も東家同様の経験がある。

10歳の時に生母が先立ち、13歳で継母を迎えた。

連れ子は居なかったが、兄と二人で身構えた。

味噌汁のシーンの様に、違う家庭の味に困惑したし、

ここで甘えてしまい、再び居なくなる不安も抱いていた。

この作品の全体的な構成なのか、

「その一言を言うか言わぬか」のバランスが作品に謎(闇)と深みを感じる。

美也子がシュンに言われた、

「イヤなら食べなきゃいいじゃん」に言い返さなかった。

「じゃん」に苛立ち自室で一人怒っていた。

しかし一方で、

「お母さんの味噌汁がいい」と言ってしまう。

私も継母を迎えて13歳なりに、言うか言わぬかを気にかけてきたような気がする。

「お母さんはそんな事はしない」

「お母さんならこうする」

と言う事はいくつもあったが、私は口にしない事が多かったように記憶している。

美也子が魚の骨がキライと言えばアキコが対処したように「言わねば判らぬ」事もあるが、

言ってしまえば、この場を全否定することになり破壊し尽くしてしまう事だってあるだろう。

その場で言うか否かについて、

美也子(森七菜)は小学女子以降の難しい時期の言動と合わせ見事に演じきっていたと思う。

バスの中で魚の骨の話は、ほんらい距離感がつかめない母なのだが、骨の解決策を聞きたい好奇心がまさってしまう美也子の子供っぽさがとてもかわいらしい。

その言い出せないままの家族の生活は続いていく。

5人にとって事実であるにも関わらず、直接当事者の心に秘めて共有しない事が家族を維持させる秘訣だと言うのだろうか。

終盤で、アキコが美也子と麟太郎を前に自分と父のなれそめを話す。

当時「言わぬ」事を選んだ理由が明かされる。

言わぬが正しかったのか結論は見えない。

中盤、親族木村が父の遭難話を美也子らにバラしてしまうが、これは「言わぬ」を作品構成にしている中でヌケ感を作ったのは言わぬを際立たせる作戦なのであろうか。

作中、家族を作る事についての戸惑いで麟太郎の仕事の不安定さや彼女との距離感が描かれている。

残念ながらこの部分の仕上がりがイマイチだと思った。

絵描きや音楽よりマシとはいえ、不安定職のフリーカメラマンと言う設定は、あまりにノーマルだと思う。

優柔不断さは、染谷翔太の名演で痛いほど伝わってくるのだが逃したコンペの大きさが彼の未来にどのくらいの影響を及ぼすのか測りづらく、そのため彼女に弱気を見せる展開にも事の重さが判りづらかった。

そのコンペを獲得する事が彼女の実家に挨拶する時の手土産に値することだったのか?

大人麟太郎の立ち位置が不明確なまま、ダメな彼を迎えに来たと言うエンディングで彼女の立ち位置がぼやけてしまったしビンタも手土産も「なるほどね」と言う程度にしか感じ取れなかった。

最後に撮影について、

私が思っている一般的な絵作りとして注視点をセンターに持ってくるのが多いと思う。

いわゆる日の丸写真である。

だがこの作品は意図的なのかやや左右にずらしている事が多いと感じられた。

初見なので見返してはないから判らないが、

明けた空間側に何かを置いての事だろう。

そして人の会話のシーンだとしても被写界深度を駆使し奥行き感を操作して風景にように撮っている場面が多いと思った。

シュンと麟太郎が焼き芋をするシーンも手前にスコップの手が大きくあって、多くの場合撤去するだろう。

しかし、そのスコップがボケを見せる事で奥行き感が強調され、奥に居る二人が際立って見えた。

他、玄関前なども石灯籠を右に挟む事で距離感が強まっている。

またピントの位置が独特だと思った。

被写界深度を強くする結果、画面中のどこか1点にピンを合わせるワケだが、それが注視点でない事がある。

すべての該当箇所を言えないが、

出棺の時、アキコの挨拶のシーンでアキコにピントを合わせているのでは無く、霊柩車の金細工にピンだった。

劇場で1度しか見てないので、

思い出せる範囲でしかないがこのような感想をもった作品である。

結論として、

観覧者の経験値によって共感ボリュームが変わる「欲張りな作品」だと思う。

(ぱ)

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