亡くなったのは、宗さんの、奧さんです。
充子(みつこ)さん、70歳。
事件は、18日、金曜日 朝
大分市内の学校給食にかまぼこを届けるため、
朝7時に、倉庫を出発。
宗さんと、奧さんは、ここで、
「いってらっしゃい」が、二人の人生で最後の会話。
その15分後、宗さんの電話に、大分中央警察署から連絡がなる。
警察:
「荷物の配達をする車が事故を起こしていますが、
あなたの関係者ですか?」
宗さんは、
「いま出たばかりです」と、びっくり。
警察:
「体調不良で、意識を失い、日赤病院に救急搬送しましたので
まず、車の引き取りに来て下さい」
====
交差点で信号停止中に、破裂したものと思われ、
そのまま意識不明に。
AT車だったので、車はゆっくり進み、
道路わきの電柱にぶつかって、停止。
なので、ぶつかった衝撃のケガなどはない模様
====
すぐに、宗さんは、長男さんに電話をして、
車の引き取りを頼む。
※宗さんの息子さん、
日本連合警備のスタッフとして、TOSに常駐だとか。
宗さん本人は、給食のかまぼこを運びに再出発する。
配達が終わる前に、息子さんから状況報告がはいる。
「大動脈解離で手当の方法はない」
と、聞いた。
なんとか、配達を終え、日赤病院にたどり着いたが、
担当の医者が、それまで続けていた処置を終わり、
「もうこれ以上することはなにもありません」と言う。
意識が戻らないまま、永眠。
====
私は、奧さんとは、
3月21日に、OABのイベント会場で、
初めてお会いし、お話しました。
もちろん、持病として動脈乖離の症状があるわけでなく、
お元気な様子でした。
後で、聞いた話によると、高血圧など気になる事はあったらしい。
だけど、脳梗塞などを気にして、首から上の検査を続けていた。
まさか、胸部動脈に問題がでるとは、思わなかった。
特に、大動脈解離は、一切の前兆がないので、突然の事。
====
私は、翌日の土曜日、通夜前に手伝いで参加。
宗さんの顔を見たら、泣きそうになりましたが、
宗さんは、しっかりとした態度で
「いろいろ、手伝ってもらってすまんねー、
突然のことで、なにがなにやら、さっぱりだ」と。
きっと、気持ちが整理できてないのかな、
葬儀の事では無く、しきりに城の話をしていました。
また、府内城イベントの出席交渉などもしていました。
そして、翌日の葬儀の朝も、しっかりとした姿勢でした。
私は、受付のお手伝いをしていましたが、
いっしょに居た、おっちゃんたちと、
「妻に先立たれたら、やっていけんのー」と、
なにやら、ダメ夫の反省会になってしまいました。
開式を前に、受付へ、挨拶に来た宗さん
「実は家内(奧さん)の兄さんも、この後、すぐ葬儀になりそうでね、
先週、家内が見舞いにいったら、意識不明の兄が目を覚ましてね、
最後の兄妹の意思疎通だったんかなー、
でも、こんなの事になって、
『おまえが兄さんの道案内で先に行くことなかろうが』て、笑ろたこっちゃ」
などと、談笑していました。
大きな波も無く、時間だけが過ぎていく静かな会場でした。
さて、告別式は進み、喪主挨拶の時でした。
前日の通夜と同様の、状況説明の途中
突然、宗さんは声を詰まらせて固まってしまった。
きっと、急に現実が降りかかってきたのでしょう。
言葉にならない挨拶をやりとげて、喪主席に落ち込みました。
それ以後、出棺する霊柩車が見えなくなるまで見送り、
ずっと大泣きの宗さんでした。
====
葬儀が終わり、すぐに現実が目に入ってきます。
たぶん、今日(火曜日)も、学校給食の配達に行ってるでしょう。
そして、明日、水曜日の府内城の会議は、出るそうです。
5月17日の府内城フォーラムに向けて、足踏みは出来ないって。
=========================
正巳おじいちゃん、立子ばあちゃんは、
すぐに代打が必要なお仕事をしていなかったので、
葬儀に専念できましたが、
残念な事に、パパは、時折
「雅治さんにしか出来ない任務」を引き受けている事があります。
佐和子理事長先生も、そういう事があります。
少しでも、有事の際に、円滑におさめられるよう、
なにか、準備を考えておきたいと思います。
・パパ
突然は、堪えるなぁ、、、
立子ばあちゃんのは堪えたもんなぁ、、、。
正己じいちゃんみたいに、最期の最期まで声かけたり、さすったりできんかったもん。
できたのは、最期に嘔吐したものがついた髪の毛の汚れを落とすことくらいだったもん。
本日通夜の大石先生も、意識が戻らず、最期まで何も言わなかったって。
あー、佐和子理事長にしかできないことは、ないかなぁー、意外と。
はっはっは!
みんな、交通事故には気をつけよう。