もう死なずに済みそうです

「胆石症」の手術が終わりました。

3月26日の緊急発作から、現実を突きつけられた「死ぬ覚悟」が和らぎ、死ぬ確率がとても低くなりました。

「胆石症」
簡単に説明すると、胃と肝臓の間に「胆嚢(たんのう)」と言う臓器があります。
そこが詰まって、痛くなったり、破裂して命の危険がある病気です。

この子は、主に脂質を分解する酵素(胆汁)を貯めておくタンクです。
胆汁は肝臓が作りますから、あくまで貯めるだけの係です。

基本的に、人が食べた脂質(あぶら)は胃で分解され、グリセリンになります。

だが、それで足らないほど過剰な脂質が流れて来た時、肝臓が胆汁を出して応援します。
それでも足らないときは胆嚢から貯めていた胆汁を出して、十二指腸での分解を助けます。
消化の作業は、十二指腸で行います。

胆嚢の大きさは、iPhone5長さのジャガイモくらい?

ところが、この胆汁の中に石灰質(石になる成分)が含まれる人が居て、タンク内で石になる。
それが結石と言う状態。


#雅治さんは、胆嚢結石(タンク内をコロコロするタイプ)

石が出来てしまうと胆汁を出す時の管(出口)を詰まらせてしまう。
実際のところ、胆汁の出が悪くても、肝臓がその都度作るし不足するなら下痢で出すのでOK、死ぬ可能性はとても低い。

で、問題は、タンクの蓄積を出す事が出来ず、タンクが破裂してしまう時、この場合は死ぬ事がある。
あるいはギリギリ膨らんだタンクの皮が裂けて血がにじみ出る状態が長く続くと、隣の肝臓とくっついてしまい、そこに腫瘍ができたり変な血管ができてしまう。

そして石が出口に詰まってタンクがギリになってくると、危険信号を人間に教えるため、ものすごく痛い。
その痛さと、他の症状(嘔吐・発熱・黄疸など)と合わせて死ぬこともある。

胆石がある人が、発作(詰まって)死ぬ確立は、40〜70%

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雅治さんは、ずっとこの痛みを、たまーに軽いレベルで感じていたのだが、腰の痛みとか神経痛と思っていた。
思い返せば、10年以上前からあったような気がする。

あべ整骨でも、その痛みを相談したことがあったけど「腰のバランスや姿勢が悪い」って言われてた。
やはり整骨院は医者じゃないよね。

痛みのイメージは、アップ練習なしでイキナリかけっこするとワキバラが痛くなる事があるよね、その痛みが超痛くて肋骨の下(みぞおち)にずっと強烈に続く。

炎症の痛み(ズキズキ)ではなく、ずーっとお腹の内側をどこかをツネられ握られている感じ。

これまで、そんな症状があったんだけど、その時は背筋を伸ばしたりストレッチしてたら良くなっていたから、筋肉のケイレンかと思っていたワケ。

知識としては胆石症の事を知っていましたが、知識と現実を結び付けられず自分でもわからないことでした。

30歳を過ぎると、法律で毎年健康診断を受けねばならない。
この検診も19年続けてきたのに、そこでは発見されないなんて、健康診断なんてアテにならんね。

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で、その最大の危機が、3月26日だった。

※この話の事は、紗代実さんの責任じゃないから誤解しないでね。

3月26日は、府内城の祭り第2日目と、紗代実さんのバレエ発表会。
雅治さんは、もう上白木に引っ越したあとでした。

前日に続けて、26日朝、城址公園に行って、祭りの準備を始めます。
前の日に一万円札を千円にしたくて買った缶コーヒー(ミルクたっぷりなんとか)を一気飲み、それが朝ごはん。

#この缶コーヒーのミルク成分が、引き金の第1弾。

なんだか、お腹が痛くなるが作業の姿勢が悪くて筋肉痙攣かな?と、いつものストレッチで治った。

その日はタカの石橋美里さん親子が佐賀から来ていて、佐賀の焼き肉を朝食代わりに出してくれた。
それが油のかたまりのような牛肉(佐賀牛ってブランド肉)だったわけ。
名刺サイズくらいの一切れをいただいて、作業に戻る。

11:00、缶コーヒーの痛みが治まったので、鉄板一家の焼きそばを食べる。

しばらく会場の見回りやゴミ処理などで、作業をするが、また痛くなる。

#佐賀牛の脂身が引き金の第2弾となった

でも、今度はストレッチでは全く良くならない、立ったり座ったりするが、ダメ。

良くならず困ったものだが、時間は12時なったので、宗さんやフェイスペイント吉崎さんに出かける事を告げ、ビーコンへ出発する。

楽しみにしていた、さよさんのバレエを見るために、会場を後する。

痛みは、まったく良くならず、ひどくなるばかり。
別府に入って、ゆめタウンが見えた時、あまりの異常事態に引き返す事を考えた。
でも、さよさんがバレエを辞めると聞いていたので、最後の舞台か?と行くことにした。

運転しながら道沿いに病院を探したけど無くて、別府市の休日当番医をネット検索する。

ビーコンが見えた時、ドラッグストアがあったので痛み止めを買おうと店内に入るが、適当なものが見つからず、吐き気がきたのでストアのトイレで、焼きそば全戻し。

この時、全身汗だく。

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ドラッグストアから、松林の駐車場に車をいれて、ホールへ。

痛み止めを買わなかったので、痛みは続いていた。
おなかの痛みの顔、受付で不審者に思われないようにして会場入り。

13:05くらいかな、舞台下手側の丸い席の最後列に座る。
舞台で、ばあさんが長い挨拶をしていた。

その後、大分の第1チームの演舞があり、
第2チームの県外組の時は意識失っていた感じ。

奇跡的に、第3チームである紗代実さんの演舞前には意識復活。

紗代実さんの第3チームの演舞が始まる。
ステップが大きくてキレも良くて、ステキなダンサーになったなぁと感心する。

第3チームが終わったら即撤収。
トイレに駆け込んだが、もう吐くものもないし、食べ物原因ではなさそうだと判断。

なんとか車を運転して大分市に戻る途中、非番で休みの馬場先生に電話連絡。

「ハラが痛い、冷や汗が出ている、当番医でも大丈夫か?」
「魚食ったか?」
「そういえば昨日、アジ寿司を食べた」
「昨日なら昨日痛いはずだ」
「みぞおちが横一文字に痛い」
「胆か膵か?なんとも言えんからアルメイダに行け、自力で行けるか?救急車出すか?」
「なんとか自走で行ける」

ひとまず上白木に戻り、保健証やお薬手帳を持ってアルメイダに向かう。

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3月26日は日曜日だからアルメイダも休日対応。

休日受付で、症状と馬場先生の弟であり相談の結果「ここへと指示があった」と告げる。
看護師さんと体温などの問診の間に、休みだった馬場先生到着。

内科の診断では急性胃腸炎の疑いでアプローチを開始する。
病気によっては痛み止め薬が違うそうで、ドラッグストアで買っていても無意味(効かない)だった。

さて念のために、腹部CTを撮ることになるが、時間がかかりそうで断りたかった。

雅治さんは、痛みが引いたら祭り会場に片付けに戻りたかった。
そして、藤野くんのお見舞いに行きたかった。

そこに馬場先生「せっかくのチャンスだから検査をすべきだ」と言い、そうすることにした。

30分程、CTの順番を待つ間に馬場先生は他の用事で帰っていった。

CT・検尿・採血とあれこれ検査を進めて行ったが、原因がCTだけで判明した。
胆嚢のある位置に、まっしろな丸が写っていた。

 

内科の先生は、疑う余地もなく「胆石症」と診断し、今日の症状もそれですべて説明ができると答えた。

この時点で、まだ祭りの片付けには間に合ったのだが、緊急度を計るため高繊細CTの準備に入る。
これは点滴で1時間かけて造影剤をいれて、内臓の細かな血管奥まで鮮明に映し出す仕組み。

それによって胆嚢のダメージ(膨らみの亀裂?)や肝臓との癒着がわかる。

 

造影剤の点滴をするのに処置室に案内される。

処置室(休日は全ての患者さんはER処置室で対応なのよ)で1時間かけて点滴を受ける間、宗さんや移動屋のメンバーに、しばらく城址公園に戻れないことをメッセージする。
雅治さんの点滴の横で、救急搬送されてきた認知症のGさんがワガママを言って家族が呼ばれて大騒動、またER医と専門医の口論(相手の段取りが気に入らないって)があって、結構な修羅場の中の1時間を過ごした。

点滴後、再度CTを撮ったところ、胆嚢の周辺に炎症があるようだが癒着はない、胆嚢が本来の形(ひょうたん型)になっているので今は石の詰まりがなくなったと判断。

そこで内科の先生は一言「じゃあ、いつ切りますか?」

「へ?」と、呆然の雅治さん。

内科の先生にしてみたら、胆石症だと確定したので今後の処置は胆嚢の全摘出手術で取ってしまうことです。
で、手術は外科の先生なので「僕の役目では無い」と、あっさりとした感じ。

急な話なので「今決められません、馬場先生と相談して考えます」と即答せず。

電子カルテの1行目に大きく「馬場Drの弟さん」と書かれて、外科の先生と今後どうするか相談をすべく、3月29日に再度アルメイダに通院予約をして帰った。

救急車でなく、自分の車だったので、自力でさらっと帰った。
上白木に帰り着いたのは、20時を過ぎていたので藤野くんの見舞いにも行けなかった。

その夜が、藤野くんに会える最後のチャンスだったのに。

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話は、少しずれるけど、26日、雅治さんが救急車扱いにならず、またひどい症状で死ななかったのは、藤野くんが自分の命と引き換えに守ってくれたのではないか?と思うことがある。

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「胆嚢全摘出手術」

簡単に言うと「めんどうなので取っちゃう」って事。

「胆嚢があるからさ、胆嚢に関する病気が起こるわけで、取っちゃえば一生その心配をしなくていいんだよ!」って考え方。

胆嚢は、前に書いた通り脂質を分解する胆汁を「貯める係」で、ないなら無いで下痢気味になるとか、その程度の事で生きて行ける。

以前は、胆嚢を切り開き、中の石だけを取り出す方法や、薬で溶かす方法、あるいは超音波で粉々にする方法などがあったけど、結局に石ができる人は取った後も何度もできてしまうので「胆嚢ごと取っちゃへ法」になったんだと。

雅治さんは、どうするか、けっこう悩みました。
と言うのが、三信のエライさんで、うちに生まれたのが女の子(長女)だと知れた時「さわちゃんを離婚させて男の子を産める旦那と再婚させろ会議」や「雅治さんを早く三信に招くため3人目を産ませない会議」があった事を教えてくれた人で雅治さんと佐和子さんの共有の友人なのだけど、その方が肝臓を悪くして最後の手段で胆嚢を摘出したあと2ヶ月ほどで亡くなったのよ、それもアルメイダ病院で。

それで、雅治さんと佐和子さんには「胆嚢を取ると死ぬ」ってトラウマがある。

また、虫歯は歯を抜く時代があったように、今は「実は取ったらダメなんで!」と言う常識に変わるかもしれない。

馬場先生にも、そのことを含めてアドバイスをもらいました。

もらったアドバイスを簡潔にまとめると、
「医療行為は現在の考えられる様々な試行錯誤の中で見つけた手法の中から、治癒確率が高い方法を用いて行われていて、結論からすると確率で判断されている」だって。

死ぬか生きるか、賭けだとすると、可能性の高いほうに賭けるって感じかな。

見方を変えると、成功率が99%だとしても100人に一人は死んだってことだし、
成功率1%だとしても、100人の中、一人は助かったってこと。

ただ、あたった人はずれた人は、本人にとって一分の1って話。

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3月29日に、外科の先生と面談の予定。

ところが、26日、自分のことで見舞いに行けなかった藤野くんが急変し、27日に他界してしまった。
29日が葬儀に決まったので、アルメイダを一週間先延ばしにして、藤野くんに付き添った。

一週間、考える時間をもらった事で、気持ちの整理がついた。

いずれにしても、石の詰まりの頻度は高くなっているし、今後、痛みも酷くなり、破裂して死ぬ可能性も出てきた。

そこで、今年からサファリに行かないことに決めていたのでGWの前後で手術をすると決める。

4月5日、外科先生の面談でもそう伝えた。
※馬場先生の関係者(家族)なので、外科部長先生(最高責任者)と面談。

今回は、内視鏡手術で行うと説明があった。

手術に備えて、心電図や肺機能の検査など、術前検査も全てパスして、あとは当日を待つだけ。

雅治さんは、痛みが再発しても大丈夫なように、緑のウエストバッグに鎮痛剤を持ち歩くことに。
脂っこいものを口にいれなければ発作は起きないので制御可能です。

約一ヶ月あるので、万一に備えて、あれこれ気がかりを整理することに。
仕事・クライアントさん・持ち物・秘密事項とか、明確にしておかねばならないことなど。

結構、忙しい4月だったわ。

そして、いちにち一日を大切に生きている日々を過ごしていました。

そう言えば、スペースワールドに行けなかったなぁ。

でも、美女と野獣4DX/3Dみたから、良いか?

何をするにも、最後の思い出になるだろうと、感じていました。

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4月26日に、アルメイダの外科チームから最終確定の連絡があり「30日入院・1日手術・3日退院」の予定で決まりました。

全身麻酔を伴う手術なので、家族の同意が必要なのだけど、馬場先生が引き受けてくれました。
これは、一般的には配偶者がすることですが、佐和子さんに頼る事は禁止なのでしかたないね。

また、みんなにお知らせしなかったのは、きさと先生の結婚披露宴の事で楽しみにしている広島行きを邪魔したくなかったからです。(島原遠征も?!)
知ってしまうと、気になってお祝いの気分を弱めてしまったりすることがあったかもしれず、教えませんでした。

真凪さんは手術の立会いの可能性も考えたのですが、登校日だと言うので、学校を休ませてまではムリだと判断しました。

ただ、手術の失敗で開腹への切り替え・輸血アレルギー・急死などの時は、馬場先生から詩音さんに連絡する事にしていました。

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さあさあ、入院に向けて準備を始めます。
MrMaxに歯磨きセットやミニビオレを買いに行き、タオルや着替えなど集めてバッグに詰め込み、修学旅行の準備みたい。

それと手術費用の話。
大半を保険のカードで出るんだけど、特別にホルトホールで手続きすれば、もっと割引になる。
収入によって割合も異なりますが、雅治さんは収入が少ないので、ぐっと安い費用ですみそうです。

そうは言っても、急な出費には変わりなく、上白木の工事も資金不足でしばらく停滞しそうです。

29日、ちょっとだけ上春日にお邪魔して雅治さん下着をもって行きました。
入院中には、佐和子さん洗濯の心地よい生活をするためにね。

死ぬのも、この心地よい下着で死にたかった。

しかーし!、手術直前から歩行訓練まではオムツなので、下着を着る機会は退院の帰りまで無いでした。

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4月30日、13時にアルメイダに入りました。
この日も日曜日なので、救急玄関から入り、受付に入院である事を告げて待機。

外科の看護師さんが迎えにきて、401号室の特別室に入る。


※お部屋は特別室を用意してもらい、馬場先生の社員価格で、これも割引。

看護師さんから入院中の諸注意や、今後の日程など説明があった。

14時に馬場先生が来て、いろんな書類にサインをしてくれた。
また病棟スタッフに「弟よろしく」とあいさつ回りをしたようです。

最後に、麻酔科の部長先生がきて、アレルギーの確認に答える。

で、30日の予定は、全て終わり、まだ16時かよ。
翌朝の手術開始時間まで、ずっと暇です。

特別室は、TVが無料なのとスマートフォンやPCはOKなので、なんとか時間を潰す。
Macに映画のファイルをたくさん入れて持っていった。

入院服に着替えて、あれこれしてたら夕食、メニューはこんな感じ。

夕食のあとは、公式行事一切なし。

ベッドも家と違うし、あまり寝付けない一晩でした。

さよさんと、ちょっとだけ、鯉のぼりのメッセージしたかな?

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5月1日、手術当日

朝6:00に、看護師さん登場で、検温・血圧測定。

手術前なので、ご飯・飲み物禁止で、うぅーっとなりながら時間を待つ。

7:30 馬場先生が兄として登場 出勤直後みたいな感じ。

スタッフさんから、着替えのグッズ(ふんどし・圧力ストッキング)などをもらって、待機。

8:30 馬場先生とともに、執刀医の先生たちとミーティング。
内視鏡手術のざっとした方針説明があって、すぐにおわり。

9:20 着替えて、歩いて手術室へ。

やあ、すんごい手術室だった。

通常、ご家族とお別れするドア先まで、病棟の看護師さんが付き添ってくれる。
そこには、手術室専用のスタッフさんが、全身衛生衣を装着して待機している。
#思わず「お菓子工場みたいやー」と言うと、周囲、失笑……。

名前と生年月日を言って待つ、看護師さんとはココでお別れ。

麻酔科の、これまた最高責任者の部長先生が登場で、次のドアまで引率してくれる。
この場には、執刀医が腕を洗うアレらがあった。

医療TVドラマで見るのと同じくらい広くて、機械がいっぱいだった。

#写真は参考イメージ 雅治さんの手術風景ではないです

いくつもドアを超えて、第2手術室へ入ると、狭いベッドが中央にあった。
もちろん天井には照明のアレと、脇には心電図のアレとか、壁には人工心肺とか、横には機械出しのアレとか。

麻酔科の先生の指示で、ベッドにすわり、心電図・脳波計・酸素量計・血圧計などを装着されながら、酸素マスクを顔にかけられる。

このマスク、空気の出が悪くて、呼吸がしにくかった。

「点滴の準備ができましたからねー」

と言う声の記憶を最後に、意識を失い雅治さんは一度仮死状態になる。

次に気がついたら、手術は終わっていた。

一体、何が起こったのか、さっぱり判らないまま。

これ、なんか金払ったのに映画見られなかった損した気分。

雅治さんが気絶した直後に、馬場先生は手術室に立会いに入ったそうだ。

 

この間、何が起きたのか、事前説明と事後説明をつなぎあわせたところ。

・点滴の中に全身麻酔をいれて体全体を眠らせる <= ここで仮死状態
・全身が停止するので、人工肺を気管挿管する
・シッコを流さないように尿道カテーテルを入れる
・ウンチ漏らしても良いようにパンツをオムツに交換する
・腹部の神経を止めるのに硬膜外麻酔をする
・胃の膨らみを取るバキュームを鼻から挿管する
・おへそに大きな穴1個
・みぞおちに小さな穴3個
・ブラケットをつけてアーム・カメラを挿入
・体内での操作開始
・胆嚢につながる血管をクリップ切断
・胆嚢と胆管をクリップ切断
・肝臓から胆嚢を剥がす
・取り外した胆嚢を袋に入れて穴1から出す
・4個の穴を縫合する

以上の手順だったようだ。

執刀した白石外科部長先生は、スーパーサージェントらしく、出血も数ccで抑えた超技を魅せたようで、馬場先生は「手術に入らせてもらって勉強になった」と感激していた。
普通の案件では執刀してくれないセレブな先生らしい。

当然、ミスなどはない。

事前に予見されていたトラブルとしては、
・胆嚢血管をぶち切って出血を拡大する
この場合は内視鏡での継続は無理なので、お腹を大きく切る通常開腹手術に切り替える。
・すると出血量も増えるので、輸血が必要になる
・輸血をすると、輸血感染症や輸血アレルギーのリスクが増大する
・肝臓から剥がれなくて失敗したら、肝臓自体の機能も損なうおそれがあった

内視鏡手術で行われた今回の手術だが、開腹手術なら入院は一ヶ月近くになる場合がある。

もちろん、そんなことはなく、計画通りの手順で終わったのだった。

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さて、
「やまさきさん、やまさきさーん」と声に
「はい」と答えて目が覚める。

全身麻酔が解け始めて、意識が戻って来たわけだ。

壁おくの方で、
「馬場先生、いし石」「ああ」と聞こえた。
摘出した石を欲しいとお願いしたものを馬場先生が受け取った場面だろう。

今どき、家族が心配するなか、ゆっくり目を覚まして「手術は成功ですよ」みたいな事はないみたい。

 

雅治さんは意識復活して、そのままベッド搬送されて、3階の手術室から入院する4階のナースセンター横で術後ケアに入る。

酸素マスクと点滴と血圧計と酸素量計をつけられ、シッコを取る尿道カテーテルをつけたまま、することもなく、夕方までウニャウニャと、その場で過ごした。

尿道カテーテルが痛くて、内視鏡の穴の傷も痛かったので、鎮痛剤を入れてもらう。
少し和らいだところで、昨夜あまり眠れなかった睡魔が戻って来て寝てしまう。

ただ、ここはその日の手術を終えた人がじゃんじゃん帰ってくる。
で、症状によっては声を出してうめく人もいるし咳き込む人もいる。

部屋は暑いし、うるさくて中々落ち着けなかった。

18時くらいだったかな、手術開始から9時間後、血中酸素量が安定しているので自室に移動してもらう。

部屋に帰れば、部屋を自分の温度に変えられるし、TVやiPhoneやMacがあるので、時間はつぶれる。

部屋に戻ると、電話がいくつかとメールが入っていたので、対応する。

馬場先生にも部屋に戻った事をメールする。
雅治さんの急変に備えて、馬場先生はこの日、日勤に続けて夜勤にしてずっと付き添える体制を作ってくれていた。

部屋に戻り、しばらくは各種点滴スケジュールを消化が目標であった。
もちろん、飲料や食事は一切禁止、水も飲めないのは辛かった。

しばらくして、馬場先生が、摘出した石を持って来てくれた。
白鳥外科部長先生の執刀が素晴らしかったと感激したようす。

石は、最大直径10mmくらいだろうか?

このサイズにまで大きいと、自然治癒は絶対に不可能だし、次に詰まった時は死んでいただろうな、とのこと。

なので、本当にこの4月に死んでいたかもしれない。

手術に踏み切ったことは正しい判断だった、って事かな。

 

あと、手術に立ち会った馬場先生は、雅治さんの内蔵をカメラで見てたそうで、肝臓などもキレイだったらしい。

「あれだけ酒飲むんなら、肝硬変で岩になってるかと思ったが、大丈夫だ」って。

 

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その後、麻酔科の先生が12時間後の確認にみえて、正常と認めてくれた。

あとは、翌朝(5/2)まで、数時間毎の看護師さんの検査が繰り返され、ただひたすら朝を待つだけ。

TVをみたり、macで映画をみたり。

寝心地が悪いから動きたいのだけど、力をいれると傷が痛いし、尿道カテーテルがひっぱられて、これまた痛い。

なかなか厳しい一夜を過ごす。

さよさんと、服のセレクトで、メッセージをする。

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5月2日
アルメイダは、6時起床

もう起きてたけど、看護師さんが起こしに部屋に来た。

たまったシッコの処理や、点滴の切り替えなど、朝の行事がスタート。

水を飲む許可がでて、少しづつ水やお茶を飲む、大丈夫みたい。

8時前に朝ごはん、もういきなり普通食が出てくる。

夜勤明けの馬場先生が、様子を見にくるが問題ないのでさっさと帰る。

9時くらいに、尿道カテーテルがはずれて、ものすごい開放感を得る。

ミニ心電計も外されたので、歩いてOK。

と言うか、尿道カテーテルを外したので、その後のシッコはトイレに歩いて行かねばならない。

この時点、まだまだ傷は痛い。
30日の21時から絶食だったので固形物がないからウンチは出ず、やたらとオナラが出る。

以前、紗代実さんが入院した時みたいに、身体が完璧な証拠はウンチが出ること。

10:30 外科部長回診が始まる。
これまたTVみたいに「患者は部屋に戻って待機してください」とアナウンスがあって、外科部長を先頭にぞろぞろと部屋に入って来て、部下の説明にウンウンと言うだけの話。
ただ、外科部長の白鳥先生は、雅治さんの執刀医なので自ら傷をみて、イイネって言った。

それが終わるのをグダグダと待っていたら、お昼になったので、ご飯。

午後も、シッコ行く位で部屋を歩く程度に、時間つぶし。

今日の目標は、点滴のスケジュールをすべて終えることかな。

痛みは、鎮痛剤(錠剤)でOKな状態まで回復、でも踏ん張ると痛い。

16時くらいに、すべての点滴が終わって、完全に自由の身になった。

ウンチは、無事に出る事を確認した。

もう治療はすることがないので、傷の治り具合が退院の目処だ。

雅治さんは、早く帰りたいので、その旨、担当医の山本先生に伝えたところ、執刀医もOKだとのことで、5月3日の好きな時間に帰ってOKとなりました。

18時に、夕食をたべて、48時間ぶりに、シャワーをする。

あとは、5月3日の朝を待つだけだ。

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部屋のベッドは、医療用なので、細かく電動で動くのだけど、
堅いし、タオル地でないし、枕は小さいし。

どうしようもなくて。

そのせいで、首回りの体調が悪くなってしまった。

一秒がほんとに、長く感じた。

でもね、こんな生活を藤野君は、40年続けたんだと思ったら我慢せねば。

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5月3日 6時 看護師さんが朝の見回りに来る
退院のタイミングの確認で、朝食後、すぐに退院する旨、意思統一する。

8時前に朝食が来たので、がっついて食べる。

それから、部屋の中の私物を片付けて、自分の服に着替えてで帰る準備をする。

8:20 馬場先生が休みなので、送迎に着てくれた。

ナースセンターで、帰ると挨拶をして、アルメイダを後にする。

 

 

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上白木に帰って、患部を撮影

 

 

これで、ひとまず、終わり。

1件のコメント

  1. 日本の医療はすごいなぁ〜!
    世界の医療はもっとすごいんだろうなぁ〜!
    真凪さんは、それほどすごい夢をえがいているのだなぁ
    紗代実んも頑張らねば

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