勉強をしなければならない理由

勉強をしなければならない理由

 多くの子供たちが不思議に思い、
 そして言ってる大人も正しい事なのか判らず、
 納得のいく正解は無い疑問です。

「なぜ勉強をしなくてはいけないの?」

 じっくり考えてみました。

 私の結論からすると、
「今のあなたにとってイヤな事ならやる必要は無い」
 と思っています。

 なぜ、そう思ったのか?

 ではまず最初は世の中で言われている事を整理してみましょう

 ほとんどの大人が、
「子供は勉強をするのが仕事」
 と言います。

 勉強って仕事なの?

 勉強が仕事なのかはさておき勉強しなければならない理由として言われている事を見てみましょう。

 ・将来のため
 ・良い学校に入るため
 ・良い就職をするため
 ・人間として心が豊かになるため
 ・当たり前の事だ!(笑)

 聞いた事があると思います。
 最後の「当たり前」は別として、これらの理由を1つひとつ見て行くと今の事ではなく未来の事を言ってます。
 未来の事、子供が歳を重ね大人になった時に必要だからだと言っています。

 でも自分の親を見ていて毎日理科の実験をしている様子は無いし、リコーダーを吹いている姿を見たこともありません。
 勉強って大人になって必要な事なのでしょうか?

 お話を続ける前に、ここで言う「勉強」とは何を言うのか決めましょう。

 これからお話をする中で「勉強」とは学校の授業で行う事だけにします。
 教科書があって時間割にしたがって進める事だけです。
 その他テストに出て正解の数だけ点数が付けられる事、家でやる宿題も勉強に含めましょう。

 一方、それとは反対に学校では教えてもらえない事があります。
 例えば、
 ・豆腐は木綿か絹ごしどちらが美味しいのか?
 ・卵ひとパックはいくらなら安いか?
 ・セルフレジの使い方
 ・スマートフォンアプリの使い方
 ・病院の受付方法
 ・自転車の乗り方
 ・不審者からの逃げ方
 これらは大人になっても必要な事のはずなのに学校では教えてくれません。
 教科書の内容を進めていくのも勉強ですが、実際の生活に必要な事についての知識やアイデアを自分の中に取り入れるのも勉強のはずなのに学校では授業をしません。

 なぜ学校で教えてくれる勉強と教えてくれない勉強があるのか?

 さて学校で行われている授業は小学校・中学校、そして高校で行われます。
 ※大学でも行われますが方法がちょっと違うので外しておきます。

 小中高で行われる授業を受けることが勉強です。

 この授業は教科書に書かれている事を先生達が決めた時間割に従って進めます。

 そして教科書は授業を受ける子供の年齢によって分けられ日本の小中学校では同じ年齢の子供は同じ内容の授業を受けています。
 ※教科書の種類によって少し表現内容の違いがあります。

 教科書の内容について主には、
 ・日本語を話す・聞く・書く・作る
 ・数字を組み合わせる・組み替える
 ・自然を見つめる・体験する
 ・身体を知る・動きを真似る
 この他、音・光・香りなどを交えて学びます。
 これらを「教科の勉強」と呼びましょう。

 教科の授業とは別に学校では1つの場所に複数の人たちが集まって、
 「生活を共に過ごす体験」
 を重ねます。
 私たち日本に生まれた多くの人間は「日本社会」と言うグループで生活をしています。
 日本社会は一億人以上いる大きなグループです。
 生まれたばかりの赤ちゃんは家族と言うグループだけの世界で大きくなり、やがて近所の人たちグループと遊ぶようになって行きます。
 年齢を重ねるたびに大きなグループと接する機会が増えていきます。
 それを社会参加と言います。

 でもいきなり大人数のグループに参加してもどうしていいのか判らず戸惑います。
 そこで学校と言う場所で授業をする事にあわせて数名から数百名のグループに参加をし給食・掃除・委員会などの活動を通して、ゆっくりと社会で生きていく事を体験していきます。
 1つの目的のために複数で協力する事で自分の役割をやり遂げる事を体験し、あるいは自分と違う考えがある事を知ります。

 そうすると学校で学ぶ事は教科の授業だけでなく、登校して学校で一日の生活をする事も勉強です。

 その体験をする事を「生活の勉強」と呼びましょう。

 日本では6歳になった子供が4月から小学1年生になります。
 それから約12年間、学校に通い続けます。
 日本の社会に参加するために必要な知識や体験を身につけるには12年間もかかると言うことなのです。
 覚えの良い子供でも12年の時間を必要とされ、興味がない子供にも12年間の勉強をさせるのです。
 ずいぶんと時間がかかるなぁと私は感じてます。

 12年間、6歳から18歳までの間で子供の身体はどんどん成長します。
 持てなかった重い物を運べるようになり、超えられなかった高さの壁を飛び越し、言葉を覚え、他の人との距離を感じ、大人(親)の生活態度を分析できるようになっていきます。
 そして数字の計算が上手な子供もいれば、足の速い子供やボールの扱いがうまい子供、言葉の組み合わせが美しい子供もいます。
 楽器演奏が得意、絵を描くのがスキな子供がいます。
 反対に、漢字が苦手とか数字がわからない子供や、サッカーがキライ水泳がイヤな子供もいるでしょう。

 でもそれは悪い事ではなく当たり前の事です。

 世の中には背の低い人・声の大きい人、歌のヘタクソな人、身体の大きな人、色の白い人、髪の長い人、目の細い人、眉毛の濃い人、笑う人、泣く人、いろいろな人がいます。
 それが普通なら、数字の苦手な人や走るのが遅い人が居ても普通ですね。

 苦手な人が居るのになぜ勉強は全員に同じ事をさせるのか?

 答えは簡単で「やってみなければ判らない」からなのです。

 学校での勉強は日本の社会で暮らして行く大人になるために知っているべき事を学ぶと同時に、様々な体験をするチャンスでもあります。

 例えば、家の近くの子供達が4人居るとしましょう。
 ある日テレビを見ていてサッカーをしたくなりました。
 でもサッカーは決められた大きさの場所が必要だし大きなゴールも必要です。
 ルールに従うなら11人のチームが2つ必要ですから4人では実現出来ません。
 でも、学校なら22人集まる事が出来るでしょう。
 あるいは学校がいくつか集まれば22人どころか、多くのチームで練習をして競うあう事が可能になります。

 もしくはピアノに触ってみたいと思っても簡単に家で買えるようなものではありません。
 でも学校にはピアノがあるのです、図書館だって理科室だってプールだってあります。
 そして何より素晴らしい事は学校にはそれらの使い方やルールや準備を教えてくれる先生が居るのです。
 学校の先生は宿題を出していじわるをするために居るのではありません。
 子供たちがやってみたい事を実現してくれるために居るのです。
 先生に聞けば教えてくれるし、実現のために手伝ってくれます。
 どんどん先生に聞けばよいのです。

 でも、いくら子供達がやりたい事を言っても知識や準備が出来てない場合があるでしょう。
 突然トランペットで「演奏したい」と言っても曲の楽譜が読めないし、音の仕組みも判ってなければ先生は「演奏だけ」を教えてあげる事は難しいのです。

 まず音楽と言う世界には音楽のルールがある事を知る。
 音にはドレミファソラシドと言う名前がある事を知る。
 曲を記した楽譜と言う演奏方法がある事を知識として学びます。
 次に鍵盤ハーモニカを使って白と黒の違いを身につけオクターブを経験する。
 そして実際にトランペットの世界に入っていくわけです。
 もちろん直感的に演奏できる天才の子供もいるかもしれませんけど。

 このトランペットの話の様に新しく何かをやろうとした時には、そのゴールに向けて進むための通り道と必要な道具は準備されていて、どのタイミングでどんな事を学び、得た知識をどう使っていくのが判りやすいのか決まっています。

 それを本にしたのが「教科書」です。

 もしあなたが自分の成りたい大人のイメージあるいは仕事のイメージがしっかりと決まっているのなら、その道を書いた教科書を手に入れることでゴールへの近道を知ることが出来るでしょう。
 バレエダンサーになることを3歳に決めたのなら、その教科書にそって進める事で回り道を防ぐことが出来るでしょう。
 プロスポーツ選手でも俳優でも医師でも陶芸家でも料理人でも、早く決めれば早く取りかかれます。

 しかし、本の指示でに進めればゴールにたどり着ける教科書ですが欠点があります。

 教科書はゴールに向けてどう進むかを書いてあります。
 反対に考えると、ゴールが決まってなければ役に立たないと言うことです。
 あるいは自分の決めたゴールに合ってない教科書を手にしたら最悪です。

 それ以前に、子供の時に自分のゴールを決める事は難しいでしょう。
 多くの子供達は、なんとなく大人になるんだろうと思っているでしょう。
 そこで学校が必要になってくるのです。

 自分の未来を見つけていく事も学校の役割なのです。
 出来るのか好きなのかも判らないけど音楽の時間で楽器演奏をします。
 面倒くさいけど裁縫や調理を体験します。
 退屈だけど漢字の練習をします。
 勝てない人がいるけど体育をします。

 学校は一人で実現出来ない体験、家では出来ない経験をする事ができます。
 その体験をして
「自分が好きな事」
「自分は好きになれない事」
 見つけていけば良いのです。
 幅広い多くの体験を子供達にやってもらう場所が学校なのです。
 広い教室・大きな体育館、色々なボールや遊具・図書館、そして先生たち。
 子供達に可能な限りたくさんの体験をしてもらうためにあるのです。
 そんな素敵な場所が学校なのです。

 しかし学校も世の中の全ての事を体験できる訳ではありません。
 多くの子供達に体験をしてもらうために得意な子も不得手な子も同じように進める教科書で授業をします。
 才能のアリナシは考えず「6歳は第1巻の小学1年生の教科書」から始めます。
 家でピアノを習っていてどんどん演奏出来ても鍵盤ハーモニカでドレミから始めます。
 小学校前に九九を言える子供も居るでしょう。
 子供ながらにプロのようにトランペットを吹きたい子供がいるなら、同じように「6歳で中学生になりたい」子供もいるかもしれません。
 特別な学校で無い限り、残念ながら多くの子供が通う学校では授業の計画を変える事は無いようです。

 さて今の日本の教科書は日本の社会に参加するための必要な知識を身につける小中9年間の教科書が定められています。
 生活に必要な計算能力や言葉や文字の知識、天気や方角や重さ音楽などを学びます。
 次に、社会参加に近づくための高校3年の教科書が準備されています。
 実際の社会を想定した実業系の高校と、さらに専門的に学ぶため大学へ進む準備をする進学校とに大きく分けられます。
 その教科書は得意な子も不得手な子も分け隔て無く12年間で終わる事を目的に作られています。
 教科書でやるべき事が得意な子供は退屈でしょうし、不得手な子供はイヤな時間になるでしょう。
 学校に通い授業を受ける事を強制的にやらされていると思えば苦痛です。

 でも、この12年の中で自分か社会の中で何をしていくのか?学校という小さな社会の中でごっこを繰り返しながら見つけていくチャンスと思えばどうでしょう。
 中学でも高校でも、ゴールに向けた教科書があり、その事について教えてくれる先生がいるのです。
 自分は、それらを便利に使うのだと思えば良いと思います。

 ここまでの話を簡単に言うと
 「目的のゴールに行くためには教科書を使うのが便利だ」
 「教科書の説明と周りの準備をしてくれる学校と言う場所がある」
 「学校には先生という説明してくれるスタッフさんが常にいる」
 「興味のない教科は無料体験コースとしてやってみるべき」
 と言うことにしましょう。

 そして「勉強」とは、
 「自分が知らなかった知識や技術・経験を教科書にそって身につける事」
 であるとしましょう。

 では、いよいよ勉強をしなければならない「理由」を考えます。

 これまでの話から「勉強」は教科書を使って行う「体験」だと決めました。
 そして多くの体験に挑戦するために子供達ひとり一人の好みはなく、大人が自分の体験から知って置いて欲しい事を全員に同じように体験してもらう計画になっています。
 ひとり一人の好みで決めているのでは無いので面白い時もあればイヤな時もあります。
 でもその体験は自分にとって好きな事を見つけると同時に、嫌いな事をはっきりさせる事だと判りました。

 例えば、からいカレーが好きな子供もいればキライな子供も居ます。
 食べたことが無いと好きかキライか判りません。
 もし自分がからいカレーはキライだと知らないままにからいカレーを食べる事が仕事になってしまったら、ずっとツライ思いをして生きていく事になります。
 もし子供の時にからいカレーがキライな事に気がついていたら、違った人生を歩けたでしょう。
 カレーに限らず、数字の仕事・言葉の仕事、絵を描いたり歌ったり踊ったり、大人になってどんな仕事になるのか判りませんが、自分のキライな事をハッキリさせていく中で、好きな事と出会い、少しづつ大人になっていけば良いのです。

 子供達が「なぜ勉強をしなくてはいけないのか?」と疑問に思う時とは、キライな体験をしている時、あるいは面白いと思えない授業の時だと思います。
 そんな時は、
 「キライをハッキリさせるチャンス」
 だと思って、どれだけキライになれるか思いっきり挑戦してみて下さい。
 以外と、その挑戦が逆にキライを好きに変えてくれるかもしれません。

    理由1:好きとキライをハッキリさせる

 大人が勉強の理由に「将来のため」と言う事が多いです。

 子供にとって、将来と言われても、なんだかわかりにくい事です。
 大人になってどんな仕事するかなんて事もイメージするのは難しいです。
 判りにくい将来に備えて勉強をすると言われても素直にハイとは言えないです。
 xの方程式とか、科学の実験とか、歴史の事件などを知ってどうするんだろう?って思うでしょう。
 将来、いつ使うのすら想像できません。
 だから勉強するにも力が入らないのは当たり前の事だと思います。

 では、こう考えてはどうでしょう。

 お買い物に行って生活に必要なものを買ってきます。
 食べる物や、せっけんやシャンプー、トイレットペーパーなど買うでしょう。
 ケガをした時のために救急箱や薬や絆創膏などを買って置く事もあります。
 季節に応じて、身体の成長に合わせて服やクツを買います。
 大人の言う将来のため、とはこれと同じ事なのです。

 寒くなる前に暖かい服を買う。
 ケガに備えて救急箱を買っておく。
 必要になった時にすぐに出して使えるように自分の近くに準備をしておくのです。
 トイレットペーパーは、うんちの後に無い事に気がついても遅いですね。
 血が出るようなケガをしてるのに何もなければ大変です。
 なので大人は自分の体験の中で知っている事を思い出し、その時になって困らないように、将来のために準備をしているのです。

 そして、その準備は物を買っておくだけではなく、知識も準備をしておきます。
 暑い夏が終われば秋がきて寒い冬がやって来る事は、勉強して知った事です。
 秋の次に寒い冬が来る事を知らなかったら暖かい服の準備ができないでしょう。
 旅行に行った時、迷ったら地図を見ますが、地図に書かれてあることを理解する知識がなければ目的地にたどり着けません。
 毒を持つ虫の事、病気を移す動物の事、火の恐ろしさ、泳ぎ方なども知っておくのと知らないのでは、もしもの時に大きく人生が変わってしまう事でしょう。

 算数も同じように、買い物に行って、正しい値段で買う事が出来るように準備です。
 国語も、書いてあることを正しく受け止め、あるいは自分の気持ちを相手に正しく伝えるための準備です。
 音楽や図画工作は国を超えて、世界中のひとたちと楽しく過ごすための方法であり、生活の中に面白さを加えるための準備です。
 それが「教科の勉強」です。

 学校で行う避難訓練はもしもの時にあわてず逃げるための心と体の準備です。
 班での活動も、ひとり一人の意見を出し合って目的に向かう体験をする事で、社会に出た時に周囲と協力して仕事をする時の準備です。
 ひとりでは出来ない大きな事を何人かで解決する準備です。
 もしくは意見が合わずにうまく行かない時に、どうすれば前に進むことが出来るのか考えたり、方法を見つけ出すための準備です。
 それが「生活の勉強」です。

 そうすると大人の言う「将来のため」と言う理由は間違っていない事になります。
 今、勉強しなければいけないのはトイレットペーパーであわてないためと言う事と大きく違いはなくて、どうせそのうち必要になるから買っとくか!と言う話です。

    理由2:もしもの時にあわてないための準備である

 理由の最後は「損をしないため」です。

 社会には様々な人が居ます、日本でも世界中の人と触れあうことができます。
 ひとり一人考え方や大切にしている事も違います。
 そして誰もが生きていくために一生懸命になっています。
 中にはその方法が乱暴だったり、危険な事だったりする場合もあります。
 安全だと言われる日本でも、危険な事はたくさんあります。
 銃や爆弾の被害はほぼ無いにしても、お金に関する事や物に関する事の被害は多くあります。
 残念ながらお金の被害(事件)は、勉強をした人が勉強をしなかった人から奪い取る事が多いように感じます。

 例えば、
 「1個300円のリンゴがあります、4個だと千円でいいよ」
 と言う店がありました。
 数字の勉強をしていれば4個買えば1個辺り250円になるからお得だと判ります。

 では次、
 「1個300円のリンゴがあります、百個で二万円でいいよ」ならどうでしょう?
 数字で言うなら、1個辺り200円なのでずいぶんとお得です。
 でも百個もリンゴを買ってどうしますか?近所で分けますか?
 しかしそれは売らなければ自分のお金が減るだけです。
 買ってくれる人がいて百個が売れるなら良いのですが、見込みが無いのに目の前の安さに乗せられてお金を使ってしまう人がいます。

 今、日本では計算の苦手なお年寄りを相手にアパートを売る事件が増えています。
 アパートを貸せば家賃が入ってくるのでお金になりますよ、と言う話です。
 でも、リンゴと同じように、アパートに住んでくれる人がいれば、と言う事です。
 このアパートの事件は算数の勉強より、国語の勉強かもしれません。
 相手がだまして売ろうとしている文章から本当の意味を理解する勉強です。
 あるいは文章の中に欠けている言葉を見つける勉強です。

 もちろんアパートを買うためには、教科の勉強以外に学校では教えてくれなくてやっておかねばならない教科書がたくさんあります。
 学校に通う間だけでなく、大人になっても自分が決めたゴールに向かうため、その度に教科書を探して続けていかねばなりません。

 勉強に終わりは無さそうです。

 さあ、勉強をしなければならない理由がそろいました。

  理由1:好きとキライをハッキリさせる
  理由2:もしもの時にあわてないための準備である
  理由3:損をしない為にする

 この3つの理由を見ていくと、1つにまとめる事ができます。

 すべては「あなたのため」です。

 あなたのためであるのだから「やるかやらないか」はあなたが決めて良いです。

 もし今の勉強がイヤならツライなら、止めても構いません。
 気持ちが楽になるまでお休みするのもアリだと思います。
 もしくは好きな事に絞って取り組むのも方法の1つです。
 アパートの話の様に、必要になった時に勉強を始めてもよいでしょう。

 判断に迷うなら、次の事を考えて下さい。

 学校で勉強するチャンスは一度しかありません。
 小学校・中学校・高校・大学で今の年齢で出来る体験や新鮮な気持ちは、二度と再現できません。
 好き嫌いも含めて人との出会いやキッカケ、感動や屈辱は取り戻せません。
 同じ歳の仲間たちと同じ体験を積み重ねていくのは生涯で一度キリです。
 仕事が落ち着いて大学に入る高齢者がいます、素敵な事だと思います。
 しかし同じ空気の中で過ごしてきた受験生の共感は得にくいでしょう。

 私は「旬の物は今喰え」だと思います。
 この意味が判らなければ勉強して下さい(笑)。

 最後に、特別な教科書について

 一般的な社会人生活を想定した内容から学校の教科書は作られています。
 それは例えば「一人暮らしに必要なアイテムガイド」の様に、実際の体験に基づいて作られています。
 結婚ガイドとか、初めての赤ちゃんガイドなども、その時になって勉強する際に教科書として活用する人が多いでしょう。
 登山に必要な事の教科書もあるでしょう。

 その中で、ある分野に深く突き詰めたゴールを目指す場合は教科書が変わります。
 登山で言うと、レク登山と冬登山では教科書の内容が違います。
 人生の目標によって学校の教科書も変わってきます。
 バレエダンサーを目指して外国に行く人の教科書には、アサガオの発芽の項目はないかもしれません。
 スポーツ選手の教科書には、身体作りだけでなく栄養や筋肉の構造の項目が多く含まれるかも知れません。
 医師を目指す人・弁護士を目指す人は高校から教科書が違うでしょう。
 ゴールによっては「教科の勉強」より「生活の勉強」が重要な事もあります。

 そして今の日本では、多くの職業について教科書が用意されてます。

 この特別な教科書を手にするかは、あなたが決めて良いのです。

 次回、予告「勉強が出来ない人生」

 身体や脳に障害を持ち、普通に勉強できない人がいます。
 今回、勉強をしない自由について話をしました。

 しかし極希に、勉強が出来ない不自由もあります。

 機会があれば、その事についてお話します。

 以上

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