未成年者のSNS利用について


このネタを頂いて少しだけ教育関係者が考えるSNSの課題に目を通した。

※教育委員会が学校しているガイドラインなど。

まず課題を見る立ち位置の前提が大きくズレていて、お話になりません。

SNSを未成年者が利用する事は「悪」と言う方向性が定められた上で

利用についてのガイドラインを模索しているから話がズレる。

ちょっと余談も入りますが「SNSとはなんぞや?」を整理します。

人類は有史以来、単身で生きていくのは困難と知り、

集団あるいは統率された組織によって人類種を維持してきました。

2人以上が協力して生きていくためには、

・同じ目的

・力のバランス

・ルール

・共感

が必要だろうと思っています。

・食生活による区別(積極的狩猟・受動的採取)

・居住環境による区別(温暖・寒冷・海・山など)

から近しいグループが出来上がり、

自然に、拡張・淘汰を繰り返してきた結果が現在です。

やがてそれが村になり町になり、国になっていきます。

領土の拡大を求めて勢力を大きくした種族もあります。

駆逐排除された種族もあります。

場合に寄っては友好的な交渉による領土の融合もあったでしょう。

時は進み、

太鼓や煙で遠くとの意思疎通の技を身につけ、

のち、

飛脚や自動車・船舶・航空機による手紙の配送で

コミュニケーションを維持してきました。

伝達される内容は、生死の確認や徴税・兵役などから

詩書・絵画・音楽譜・写真を用いて心を伝え合ってきました。

そして人類は電気の発明と共に信号伝達や無線などを発明していきます。

つまり、人間は社会本能的に、

・自分の心を誰かに伝えたい

・相手の心を中を受け止めたい

と言う欲求があるのでしょう。

ここまでで判るように、人は本来、

「自分を立たせ、誰かを求める」根底があると言えるかも知れません。

その欲求を低価格(手にしやすい環境)で容易(難しくない技術)に

実現出来る方法を模索し続けています。

話は少しだけ、ズレますが、

電気通信技術を使ったコミュニケーション方法は、

モールス信号から始まり、電報(カタカナ)・電話・FAXと続き

パソコンを使った文字通信に進化をしていきます。

とは言え、パソコンの通信は、

設備や安全性の維持もあって一般に使われず、

それまで会社や大学・行政機関しか許されてなかった事。

ところが1985年4月、電気通信法の改正により、

ネットによるパソコン接続が一般に普及する事になりました。

大分でも地場企業の社長や2代目が研究団体を作り、

大分県を日本一のネットワーク県にするぞ!と意気込んでいました。

現在では、列車の時刻表や航空機の予約などスマートフォンで

簡単に実現出来て、個人がリアルタイムに情報を得ることは

まったく当たり前です。

しかし、その当時は、大分駅の営業時間中でしか対応してもらえず、

まして自宅からパソコンで調べるなんて不可能でした。

その大分の研究団体は、

時刻表や公文書図書館を作ろうと頑張りました。

しかし、情報を入れてみたものの誰も面白いと思わず、

立ち上げ早々、尻すぼみに陥ってしまいます。

さあ、そこに伝説の男子高校生が登場します。

大分県立鶴崎工業高校電気科3年のその男子は、

高校生ながら東京のパソコン雑誌に記事を書き、

ビジネスをやっていた天才少年でした。

なんとこの高校生は、

大人がビジネス利用のサイトで、投稿ルールを無視して、

自分の日頃の生活を日記風に書き始めます。

少年の文才も効果してなのか、

時刻表に飽きてた大人達は、その少年の投稿に夢中になります。

そして研究団体は気が付くのです。

「ネットは情報図書館ではなく人の生活のそのものである」と。

言い方を変えれば、

「社会活動(ソーシャル)を通じて人々が相互に通信しあう事」である。

そう、SNS(ソーシャルネットワーク)こそネットの醍醐味だ。

狭い国土の、これまた大分と言う片田舎で、一人の天才少年によって、

ネットワーク社会へ通じる未来の扉が1つ開かれた瞬間だったのです。

笑笑

その経緯を詳しくまとめて出版されています。

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=カタカナ&url=search-alias%3Daps&field-keywords=電子の国コアラ

ママが単行本を持っていると思う。

さて、

前述の事を踏まえて考えると、大人でも未成年者でも、

自分と他人との関係をより深くに求めていく行為に差はなく、

それが社会生活に参加する人間の正しい姿であるし、

学校は、その社会性を身につけるための集団生活を行っている場であります。

見方によっては学校もSNSであると言えるでしょう。

電気通信によるネット社会も、大きく変化をしてきました。

でも、人が求めることに違いはありません。

ネットが文字だけの通信から始まり、

日々の生活の様子をノンフィクションの様に求める一方で、

物理的距離を意識させないネットでは、

旧交を求める活動が生まれてきました。

日本のSNS史上、面白い出来事があります。

1996年に始まった「このゆびとまれ」と言うサービス。

全国の小中高大の同窓会SNSです。

一時期、事業譲渡などで混乱したが

現在は有志によって再開されている。

https://yubitoma.or.jp

自分の母校がなければ、申請により作れます。

全国の同窓生が、電子上の仮想の同窓会を楽しみました。

※のち、ゆびとま、と呼ばれ、大ヒットになり

 その後、Mixiと言うSNSに進化します。

それと同じ事をやったのが、Facebook

これはハーバード大学の在校生・同窓生SNSでした。

Facebookには、特殊な起爆剤があって、

「ハーバードの人と友だちになりたい他校生」が

こぞって参加したため、爆発的に会員を増やしました。

上位層とつながりたい下層のゲスな行動丸出しで、

なんか、こっけいですね。

そう見ていけば、SNSとは人類が集団で生活を始めた時から、

電気通信の発明前でも、それ以後でも自然に存在する活動であり、

そして日本でも多の国でも当たり前に存在する現象です。

さあ、そこで、日本で特有の状況、

なぜ学校や大人が、未成年者のSNS利用に警戒心を抱くのか?

これは国の運営にも似ています。

国にとって国民は、

「国家を構成する最重要の要素」

であるのは当然ながらも、

「国家の運営方針に従順でなければならない」のです。

身分制度とまでは言いませんが、

支配管理層と従業者層はその垣根を越えてはならないし、

従業者層の中から優秀な人材がうまれてもいけないのです。

戦争中の指揮管理体制、あるいは不当労働環境下では、

上から下達した情報のみが真実であり、他は排除する必要がある。

その精神は、未だに学校や、もしかしたら行政にもあると感じています。

教育カリキュラムに無い事は、覚えてはいけないし、知っても行けない。

教えてないことは発見してはダメだし、教えあってもNGです。

近隣の大国が、国民の情報管制をしています。

まさに上記の通り支配管理層による国の独占化を目的としての事です。

つまり学校で言うと、

・学校内の様々な問題を外部に流出されては困る

・教師の個別の立ち振る舞いを記録されては困る

・他校との違いを感づかれては困る

わけです。

あるいは教育者が自分で提唱した教育論の間違いを指摘されるのを恐れています。

みなさんなら判るだろうが、

・髪型と成績に相互関係はない事

・持ち物と素行に関係はみあたらない事

・校則には人権無視がある事

が、バレては困るわけです。

極めて独裁的で閉鎖的な場が日本の学校という所なのです。

一方で、学校側も未成年者の本音に近い部分を求めています。

従来だと生徒会や、進路指導教員&不良グループと言う、

「裏公式で設置された連絡機関」において、

多数の生徒の動向を相互に情報交換していましたが、

ネットの登場によって、その情報管制が不可能になってしまいました。

近隣大国は、

まずい問題があればネットを遮断する事で国民を内閉しましが、

さすがに日本ではできない。

どうすれば未成年者のSNS利用を自分たちの手中に取り戻せるか?

これに悩んだあげく旧態思考の文部省や教育者は、

SNSの利用制限を実現するために、

「ネットは悪だ」と言うキャンペーンを張ることになりました。

ネットは詐欺行為・援助交際(パパ活)などの不法行為の温床となる。

なんて事を前面に押し出して、悪を印象付けます。

もちろん、もう遅い。

そんな幼稚で根拠のない手法に今の未成年者はだまされません。

元々、パパ活をする子はネットがなくてもやります。

不良グループの集会も、実現出来ます。

ネットが元凶だ!、と言う部分の立証は難しいです。

さらには、私のようにネットの誕生からみてきた50代が、

親となった結果、未成年者(我が子)にネットのある暮らしを容認しています。

あるいは援助交際をしていた世代女性が、今、母になっています。

それもあって、エンコー(性行為)はダメだよと言い、

でも若さは金になるから十分活用すべきで、

パパ活(ゴハンまで)にしておきなさい、となっているのかも?

極端で失礼な例え話ですが、

シングルマザーが彼氏をさがすのにSNSで熱心な横で、

高校生の我が子にSNSを禁止!なんて言えるかどうか?

余談だけど、山崎家の謎ルール。

「ゴハンの時はTVを消す」

これはママが決めた事です。

たしか、真凪さんがようやく離乳食になったコロかな?

TVに夢中で食べない二人に怒って、

「ゴハンの時はTVは消します」と決めました。

それが続いていたと言う事です。

ルールは徹底するパパは、絶対に守ります。

パパの徹底ぶりにママは自分が見たいTVが見られないと

なんどかキレていたのを覚えています。

3人に「TVが見たいから早く食べて!」と怒った事も。

ゴハンの時にiphoneを触らないのもルール。

パパが同居の時は徹底していたのになぁ、

場の意識の維持って、一度崩れるとダメになりますね。

つまり、山崎家のルールと同じとすれば、

学校は、自分らが理想とする学校の品質を維持するため、

それに影響を及ぼす存在はすべて「悪」だとしてとらえ、

未成年者にそれを教育していくのです。

例え、教員側がルールを無視した実生活があったとしても、

未成年者には徹底を強いるのです。

同じく、ネットいじめもそうだと思います。

いつの時代でも、なくなることはないでしょう。

人が発展のために競争心を燃やし続ける以上、

誰かが負ける事はさけられません。

笑う話だけど、教員の中でもいじめは当然だろうし、

上下関係によるハラスメントもひどいものでしょう。

大人で言うなら、酒の席でそれらの情報交換や

問題の発生を知る機会だったのでしょう。

それがSNSになっただけ。

未成年者でも同じです。

SNSのない昭和の時代でも、醜い事はありました。

そして現在、実際にSNSを通じて不当行為に及んだり、

相互のいじめや個人攻撃に至る未成年者もいるでしょう。

しかし、それは本来、その子が自ら戦うべきで、、

あるいはその子の周囲が責任(支援)を持つべきで、

親や親権者、教員など関連する大人達の責任です。

売春やドラッグ・金融詐欺の片棒など、

未成年者が末端で犯罪行為に巻き込まれる事があります。

その事件のすべてがSNS起因だとは思えません。

言い方をかえれば、SPATIOやCHAIMOも

彼女らの貴重な10代を大人達がつぶしたと言えなくもない。

未成年者の被害は昭和でもあった事だし、今後も続くでしょう、。

よく考えてみたら良いと思います。

未成年者の犯罪や無茶ぶりは、必ずどこかに指導する大人が居ます。

お金目当てか、母校のOBか、関係性は様々でしょうけど。

そうであるなら、SNSは学校が指導するべき事では無く、

各家庭の思想により、判断実施されるべき事だと思っています。

例えば、アルバイトを未成年者に許可するか否か?

まなぎさんがやまばとの手伝いをする事は違反か?

かつてうたねさんが若草公園カレーワゴンに同行するのはNGか?

生活困窮家庭がアルバイトをする事を止める正義はどこにあるのか?

一般的な、高等学校の言い分に乗せると、

ファーストフード店のアルバイトは大学生などとの接点が増え、

背伸びした言動や、あるいはカラオケ・居酒屋など、

本来高校生が立ち入るべきでない場所に関係する恐れがある。

と言う事になります。

ここまでを見直すとわかるように、

SNSの規制は、未成年者にする事では無く、

その子の周囲の大人に注意喚起・啓発を行うべき事です。

ただ一方で、

保護者の意識の低下や貧困による社会教育の不徹底で、

親が子供と向き合えない状況が多くなっているのかも知れません。

つまり、親は学校の責任として投げてしまう方が楽だし早い。

学校も、指導現場の教員は自分に実害がないから、

教育委員会や文部省に押しつけて指導書を読み上げるだけ。

やれやれです。

私の現在の自論からすると、

自分で出来る事は、自ら考え行動する。

もちろん家族のあり方や成長の仕方も含め、

仕事も社会との関わり方も「突き通せる筋」が必要だと思います。

ただしね、重要な事があって、

社会性への依存性が高い環境で生活を望むのであれば、

「個の意思は相応に押さえる必要がある」のは理解しています。

50代で、いまだ自分の道を見つけ切れてないと言う事なのでしょう。

長くなりましたが、SNSが良い悪いは判断が難しと言う事です。

本件、単純にまとめると、

「包丁(刃物)の存在は利便なのか?悪なのか?」

と言う哲学的な展開と同じだと思っています。

(ぱ)

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