班の検討についてコメント

その班の認識は確かに理屈に合ってますが、

少し論点がズレているように感じます。

デジタル機器の存在は、

学習方法の「手段の多様性」を増やすに留まり、

決定打ではないと感じています。

大学生なら、多かれ少なかれ受験を経験しているでしょう。

その際に、どのような学習方法をやってきたのか人それぞれです。

単語を覚えるのに、単語カードを使った人や、

ノートに連記した人もいるでしょう。

単語をつなげて物語風にしたり、歌って覚えた人もいるかもしれません。

デジタル機器を使った学習方法は、その手段の1つとなりえますが、

すべての子供達の学力向上に寄与するかは難しいと思います。

なので、

>ちぐはぐじゃね?

と思ったのは当然の感想でしょう。

確かに、今後予見されるデジタル社会で生きていくために、

デジタル機器の操作を身につける事は大切です。

もしかすると自転車に乗るより重要になるかもしれません。笑

ただ、詩音さんも経験したとおり、

ネットの情報を駆使する事で

リアルの授業中に理解出来なかった事が

ネットに掲載の情報で理解できた事があると思います。

それは、学習塾による授業の動画だったり、

要点を視覚的に記した資料画像だったかもしれません。

もし、その班の人たちが、

「デジタル機器の操作を覚え、youtubeで授業を見た事」

がデジタル機器による学力向上と言うのなら、それは間違いです。

情報(授業)の提供手段がデジタル化されているだけで、

その動画を見て理解が進んだ子供は、

「先生が口頭で解説し板書した授業に参加した事」で

理解出来なかった事を克服したわけですから、

担任の説明より、塾講師の方が自分に合っていただけです。

DVDの配布でも良いわけで、

デジタル機器を経由する必要はないはず。

そうだな、

システム屋の思考回路で言うと、

これらを次の3つに区別して考えます。

1)デジタル機器(ハードウェア)

2)検索アプリ・動画アプリ(ソフトウェア)

3)授業の内容(コンテンツ)

にわけて捉え、それぞれの関係性とバランスを設計します。

これは、自動車の運転に置き換えると、

1)自動車そのもの(ハードウェア)

2)運転技術・免許(ソフトウェア)

3)どこに行く?(コンテンツ)

となります。

人が成長とともに学習をしていく事は、

この3番の「どこへ?」を問いかけて実現する繰り返しです。

学校教育は、その人が定めた目的地に到達できるように、

現地の事や旅程の立て方、必要な用具などを浅く広く体験する場を

提供する事で、学校はそのミニシュミレーションの場だと考えます。

子供に学習させる意義は、

どこへ?を模索する力をつける事が目的であり、

その場所に行くために、自転車・自動車・列車・航空機の選択は、

出発時の環境によって決まってきます。

大分の生活だと、出掛けるのは基本的にマイカーですが、

東京では事情が違います。

あるいは、どうしても歩いて旅行したい人もいるだろうしね。

なので、この班が言う事は、確かにそうなのですが、

この時に詩音さんが居た教室で議論されていた事が、

1)デジタル機器の種類(ハードウェア)

2)ネットの活用手段(ソフトウェア)

3)学習の内容(コンテンツ)

いずれについてだったのかで、論点が違ってきます。

もし、それがあやふやな場であったら、

その講義の講師のテーマ設定がダメだと言う事なのだけど。笑

==

文部省の方針で学校でプログラミングを教育するとなっていますが、

これもいくつか要素が混在したまま進んでいます。

馬場雅治先生が城崎503でやっていたIT教室の中で

「これだけ理解すればOK」のネタがあります。

それは次回、上白木で講義します。

(ぱ)

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