真凪さん、おめでとう、ありがとう

いつの間にか、20年も前の話なんやなぁ。

真凪さん誕生の2年前に長女の出産であれこれ経験した。

なので、ママもパパも少しは心構えが出来ていた。

でも、妊娠中は長女の時と同じくママは廃人同然だった。

8月出産と言う事は6ヶ月ほど遡り、つわり時期は冬シーズン。

城崎のこたつの中でシッコ以外、そこに居付けたママ。

前と違ったのは長女が居た事。

長女はママの体調不良を理解できないので、

寝ているママにカマチョでのしかかる。

ママに心身の余裕があれば対応するが無理な時は物理的に無理。

長女を遠ざけてしまう。

ママはそんな自分がイヤで追い詰められていく。

その場にパパが居れば対応も出来るけどパパ環境に変化あって、

長女の生活リズムが安定したと見えて仕事に復帰していた。

斎藤のおいしゃんらと新規ビジネスの立ち上げとか、

三信の話で頻繁にG様から呼ばれて出ていく。

長女つわり期はパパは仕事をしてなかったのでずっと居たけど、

今回は居ない事が多かった。

極めつけは、2001年1月の後藤智江先生の公演。

ママ的につわりピークの日の事、

舞台仕込みで能楽堂に出かけたパパ。

出かける時「今日は居て」と言ったママ。

「急に断れんしちょっと行ってくる」と午前中出た。

心配になって昼に戻ると「もう大丈夫」とママは言う。

なので、再び城崎を離れ仕込み終了まで予定通り作業をした。

後日、ゲネプロの時は朝から夜までママ一人になってしまうため、

能楽堂に宮河内を出動させ長女も現場に入った。

でも、この一連が許せなかったらしい。

二人で生きて行く事の信頼関係がコレで壊れたんだと。

ママは、この日からパパの事を信用してないって。

そんな事もある中、

つわりで何食っても吐く真っ只中でも口に出来るとママが言った品、

「ミニッツメイト:ピンググレープフルーツ」を買い占めに、

県内のスーパー・コンビニを奔走した。

大分・別府・日出・臼杵・庄内くらいは網羅したかな。

やがて春が来て、少しづつ落ち着き。

途中、立子さんが上春日で転倒し骨折するなど。

(4月28日と記録がある)

パパは城崎503でITスクール「馬場塾」を斎藤のおいしゃんと

2001年6月に開校。

そして8月1日、

生まれるまで毎日ビデオの収録開始。

8月16日早朝、ママ・パパ・ウタの3人でソフィアに移動。

二度目の体験なので多少は準備に余裕があったのかもしれない。

ママの荷物はいつもどおり過剰な中にも、

経験値から少しはコンパクトになっていた感じはした。

ソフィアの部屋は長女の時と違って随分広く、

ベッドと別の和室?があった。

やがてママの陣痛間隔が短くなり分娩室へ移動する。

長女は部屋に残っているとの事だったが、

義母が乱入して強引に略奪していった。

パパは分娩室付添があるし選択肢を検討している間に、

さっさと長女を持って行ってしまった。

義母に長女が何をされたのかわからん、今でも悔やまれる。

分娩室ではおなじみ秒160前後の心拍が鳴る。

助産師さんはママのお気に入りの江上さんじゃなかった。

でもベテランさん。

分娩室に業務用カメラを持ち込み、

立会人席でずっと瞬間を待つ、パパ。

新生児、なかなか出てこない。

長女の時はスルっと出てきた感が強くて、

お産をナメてかかっていたのかもしれないママとパパ。

前回と違い新生児のサイズが大きく違う。

産道通過にやや困難を示していた。

会陰切開は当然だとしても、

子宮口を切開するわけではないから筋肉が延びて行くんだろうなぁ。

胎生生物はすごいね。

さて、知っての通りのママだ。

生来、体力勝負の挑戦など一切しない。

でも前回の長女出産、そして次女出産。

命がけで偉業を成し遂げた。

ママの額に血管のマーク(兆)?が出るくらいの力量・緊張感。

でも2度目だからかな、余裕があった様に感じる。

何時間もかけて降りてきた新生児。

頭が出たと執刀医。

パパは薄情にも恒例によりママの手を振りほどきカメラへ。

取り上げた当初、産声を上げず緊張が走る分娩室。

助産師さんがしきりに背骨をマッサージする。

パパはカメラを離れて新生児を覗き込む。

「・・・・ぐ」

「・・ぷ・・・ぐ・・え」

「び・げ・うげ・ふげ・ふぇ・ふぇ」

と声にならない声を上げる。

やがて

「ふえーん、・・・・」と産声らしき音が。

その後も、泣き続けるではなく、

かなりのインターバルをもって時折声を上げた。

その様子が名付けに影響している。

新生児はクリーニングを施され、

ソフィアのやらせ記念撮影をして

ママの胸でしばらく抱っこ。

パパは気になってしかたない長女の行方。

分娩室から出ると長女はそこに義母と一緒に居た。

パパは長女を無事取り返した。

退院まで数日間の入院生活は2度目でも授乳や沐浴の訓練が続く。

当然ソフィアはサービス業なのでキツイ時はやってくれる。

しかし経産婦の間でバトルが繰り広げられる、例を上げれば授乳。

まず母乳が出るかどうかで大きく分かれる。

次に新生児がそれを受け入れてくれるかで分かれる。

恐怖はその次、訓練の場だった。

入院中の経産婦さんが授乳室で同じ時間になる事がある。

互いに相手の様子を観察し優劣を感じるのだ。

1g単位で飲量を測るのだが、あの子は基準値に達している。

うちの子は上手に飲めずこぼしてしまう。

母乳の出が悪い、乳首の形が悪いとさえ悩む。

経産婦さんの年齢も上下様々。

うまく行ってる若い子を嫉妬する高齢出産とか、

自分のヤンチャな生活が原因で母乳が出ないとか、

壮絶な心理戦があると思われる。

世のパパたちは何も手助けできる事はない。

聞いたとしても「そっか」としか言えない。

その地獄の数日間を一人で耐えてみな母となるんだろう。

ちなみにママは母乳の出は良かったみたい。

8/16出産当日の夜、

パパは目にした事実を整理し名前を草案する。

・長女より出てくるまで時間がかかった

・なかなか初声を聞かせてくれなかった

・大騒ぎを煽動する雰囲気ではない

・独自のリズム感がある

と感じていた。

人工物や風や音のない世界、静かな世界。

そこに独自のリズム感を持った人。

静かでリズムと言えば波打ち際かな。

でもさざなみとかじゃない。

頭に浮かんだのが「凪」と言う現象。

そうだな、この子は凪だ。

真に凪。

凪と言う文字を使いたかった。

でも、昭和の名付け常識の中に、

名前に「止」が入ると子作りが止まるとされている。

そんなツッコミも出てくるだろうと思った。

でも、真に凪。

余談なのだが、

実はこの話は誰にもしたことはないんだけど、

パパの脳に凪の文字がある理由。

さだまさし 夕凪

https://www.uta-net.com/movie/65479/

昔、聞いたことがある曲で印象に残っていた。

ハッピーな歌ではないけど夕凪の情景が浮かんで、

なんだか頭に残っていた。

なので、静かな場は「凪」だと浮かんできたって話。

凪はナギ以外に読み方がなく、ナギと音声表現する。

ギと言う濁音が女子の名前にどうか?とツッコミもある。

有凪・凪美・凪音・・・・

長女の時に作ったお名前組み合わせExcelであれこれ考える。

不明.png

やっぱり結局、冒頭に出た「真凪(マナギ)」に。

ママに伝えたところ、

昭和の止め文字ツッコミもあったが最終的には原案で決定。

長女の時に名前を山崎家に付けさせなかったと、

ひとり大騒ぎをした義母さんは今回諦めたのか何も言わず。

※義母さん長女に「かなこ」が良いとポツリ言ってた。

そして8月17日早朝から、あなたは真凪と呼ばれる事に。

長女がマナギと言えず、マガイと言ってた事や、

小さな子どもはマガイと称されると長女の誤解は有名な話。

約20年後、

真凪の各国語訳を調べる話はまた後で。

よく寝る子だ。

城崎の生活が始まってからもネンネばかりの次女。

夜泣きをした記憶もあまりないかなぁ。

寝てる横で長女が騒いでも寝てた。

お食い初めは長女と同じく、

極上の鯛を中島マルショク渡辺鮮魚で手配した。

食べたのはパパだけど。

よく食べるだ。

栄養循環がよかったのかどんどん太っていった。

ご飯が始まった頃からお話も出来るようになってきた。

身体が重たかったのか立ち上がりは時間あったかなぁ。

ハイハイの記憶もないなぁ。

長女のような転がり移動もなかったなぁ。

粉ミルクステップ&バナナを基本に

ずっと食べられるようにいつもパンを握っていた。

やがてパパのご飯も少しづつ口にするようになる。

雛人形をどうするかママは悩んだ。

またフルセットを購入すべきか?

あるいはコンパクトセットなのか?

将来、その差に傷つくことはないか?

一人っ子のママは想像出来ないとパパに言う。

パパは男子兄弟なのでコメント出来ず。

結果、ご存知のようなセットとなった。

2002年ワールドカップ

試合は6月10日なので次女はゼロ歳。

だけどチケットが要るので一人$150払う。約18000円

不明_1.png

生活の基本は、ママ・ウタ・マナは幼稚園。

時々、パパと二人で城崎に残り近所を散歩したこともある。

公証人役場の前道路に当時クッキングパパと言う弁当屋があって、

弁当買って城址公園で遊んだりした。

https://photo.yamabato.ed.jp/view.cgi?op=view&dir=S04W&photo=IMG_7876.jpg

長女のマネが好きだったのか?

長女の言動をそのまま真似するのが多かった。

幼稚園であった事を長女が身振り手振りにパパに話をする。

それを真似るように、同じことを言う。

そんなマネッコが面白かった。

歩けるようになって行楽も行った。

大分川の花火・志高湖・香りの森など。

大雪の時、水分峠に雪遊びに行った。

あまりに寒くて意識が薄れた真凪の死亡説もある。

坂ノ市の亀塚古墳に行ったら、怖かったらしい。

何かを感じたんだろうか?

2004年の夏、初めて梨狩りに行った。

次女は、園主の松本さんに、

「おじちゃん何型?」

「お?、オレはA型や、キミは?」

「クワガター」

「なんやそれ!、血液型やねんかい!」

と小ネタを炸裂するなど。

https://photo.yamabato.ed.jp/view.cgi?op=view&dir=S07W&photo=SN310116.jpg

その帰り、三女の懐妊が判明する。

同じ年の9月だったか、関崎海星館に昼間行った。

かき氷を買ったけど、半分こぼしてしまった。

https://photo.yamabato.ed.jp/view.cgi?op=view&dir=S06W&photo=SN310009.jpg

どこぞのババアが可愛そうだと分けてくれるけど、

そんな不衛生な事はムリなので断って、

「親切を断るのか!」と言うババアと口論になるパパ。

そんなこんな。

2005年4月、やまばと3歳組に入園。

https://photo.yamabato.ed.jp/view.cgi?op=view&dir=S06W&photo=IMG_4338.jpg

名札をもらい、パパに報告に来る。

「パパ、受かった」って。

まなぎ・ゆうと・あおい・さあや

先生の言うことを聞いてない4人組はこの時結成か。

2005年4月18日、三女誕生。

ソフィアに前日泊で分娩に挑むママ。

一家で宿泊し、ソフィアから登園した。

次女はこれが気に入り「ソフィアに住む」と言う。

お昼、近所の回転寿司に行ったが、まだ生まれず。

結局、夜までかかった難産?だった。

ママの入院見舞いで、ソフィアに通い、

毘沙門天など近所の飲食店を散策した。

亀川の寿司に電車に乗って行ったなぁ。

https://photo.yamabato.ed.jp/view.cgi?op=view&dir=S06W&photo=SN310068.jpg

2006年春に正巳G様が入院した。

G様と入学式の服を選ぶなどして危機感の無い日々だったが、

毎度の行楽入院とは様子が違い回復せず5月末に逝去。

葬式には長女と次女、そろってピンクの服で参加。

非常識だと異論したババアらが続出したが、

「故人との思い出の服」だとママが一喝。

7月21日から上春日生活開始。

上春日の引っ越しに合わせG様の法要などで慌ただしく。

パパとお隣さんの口論で怒号響く上春日の新生活。笑

G様の法要の手紙に貼る切手を整理していた次女、

あまりに疲れすぎて切手を真ん中から裂き始める。

怒られて大泣きして部屋にこもったら眼鏡がどうとかで絶叫。

何かと思えば、

G様入院時に県病の裏のダイソーで買ったヒゲメガネが壊れたと号泣。

トライアルのゲーム

まだ幼稚園児だったと思う。

わさだのトライアルで買い物に立ち寄った。

レジ横にコインを入れたらクレーンが動き、

積み上げた商品が落ちたらゲットと言うゲームがあった。

どうしてもやりたいと懇願する。

パッと見て1回の操作で落ちてくる位置になってないので、

パパはダメだと言うが、どうしてもと引き下がらない。

じゃ1回で、と100円で挑む。

操作を開始して5秒くらいで結果は出る。

「ほな、帰るで」と行ってしまうパパ。

パパが正しかった事に加え、

「だからムリだと言ったの」にと怒られるの待っていた次女、

何も言われず、それはそれでやり場のない表情をした次女だった。

西の台小学校に進学。

双子姉妹のあいか・ゆうかの話くらいしかパパは覚えてない。

ある女性教員の奇行「携帯電話番号搾取事件」で結構揉めたけど

別件の「給食費保証人事件」でパパは危険人物認定だったので、

こちらに有利に話は進めた。

しかし異常行動をとっても公立教員はクビにはならんのやな。

他、

「携帯電話紛失事件」や

「北九州博物館携帯電話忘れ事件」など。

携帯電話にまつわる事件が多いと言う印象。

カレーワゴンの出店や下見に付いてきた事も多かった。

誕生日かクリスマスか「夢猫」を欲しがった。

TVCMか広告で見たのだろう、

リアルな猫飼育体験が出来ると思っていたようだ。

だがぬいぐるみにわずかな稼働メカと音声がでる程度。

なんとか自分を納得させようとベッドで一緒に過ごしたり、

なでたりしていたが違和感は大きかった様だ。

何事にも本質に迫る気質はこのころから有ったのだろう。

「いや、これ、本物ちゃうやん」って早々に気がつく。

大分西中学校に進学した。

長女の様に進学校の受験をするのか?と思ったが、

そうでもなくさらりと西中学校へ進んだ。

学校行事にはあまり関わらなかった

長女は剣道部でワチャワチャとしていたので、

部活現場にカレーワゴン出動とかあれこれしていたが、

女テニがまずもってユルい空気だったので関与せず。

1度、竹田での試合に送迎をした。

おかげで竹田周辺を観光できた。

Masaharun_kamishirakiのインスタ投稿第1回目は、

その竹田に行った事を掲載したのが初インスタである。

上春日での生活は日々淡々と流れていった。

高校進学に向けてエンジンを掛けつつあった中学後期、

パパ部屋に来て、

「20分後に起こして」と言って昏睡状態に。

予定通り起こすと怒る。

プルートでイジると怒る。

そんな事が続いていた。

ある意味平和な時間だったと思う。

高校進学は意図したのか、してなかったのか、

ある意味、挫折を経験した事になるんだろう。

残念とか具体的には表に出さなかったけど、

見てた様子から「違和感」があったんじゃないかと思う。

上野の合否に際し超法規的な手段も考えたが、

きっと次女から永遠に許してもらえない愚行だと思い断念した。

高校生活はどうだったんだろうね?

数として多くはなさそうだけど有益な友人に出会えた様に思う。

中央町商店街を散策していたパパと下校の次女がばったり、

でも互いにチラ見して通り過ぎる、まるで映画のワンシーンもあった。

高2夏くらいだったろうか、謎の体調不良に襲われた次女。

いろいろと手を尽くしてみたが原因特定に至らず。

たぶん交通事故でコケた時に脊椎を損傷し、

脳髄液減少症だったのでは?と今になって思っている。

パパはパパで骨折事件により周囲に笑いを取る。

次女にチャリでマックセットの宅配をやってもらうや、

院内コンビニの買い物に車椅子押してもらうなど。

大学受験も迫り、進路を決めなければならない時期。

一般論として18歳の小娘には難しい事だろうけど、

次女と「目的と手段」を大いに議論した。

次女、そして3姉妹が思い描く未来予想図を前に、

各々、そして次女が何を作り上げていくのか?

目的を達成するのに道は1つではない事や、

役割分担の中で他に譲れない事の重要性なども議論した。

知識・金・力量・人脈・時間・世情など現実についても議論した。

2020年頭、世の中はコロナ騒ぎに突入する。

地球上のすべての人が思い描いていた計画を白紙にさせられた。

そう言う時こそ威力を発揮する次女&パパ。

こんな面白いチャンスを逃すわけがない。

健常者がワチャワチャしている時にASDが覇権を掴むのだ。笑

そこで運転免許証取得事件につながっていく。

反対意見も多かったし軽視する向きもあったが最後の最後、

パパも直接受験だったので反対出来ず……..。

詳細は電子図書『異星人の娘と父「安価で」運転免許を取る』を参照されたい。

その経緯の中に、

原チャで「9と3/4番線」に突っ込む事件が発生する。

結果、合格を勝ち取る。

パパは改めて、

「次女はヤルと言ったらヤル」んだな、と思うことにした。

そして、BMW320を譲り受けてパートナーにする。

自動車維持の困難さに直面しバランス感を再考する事もあったようだ。

時を同じ時期、MacBookを購入した。

ママ(兼三協社長)の考えを受け止めながら、

予算と現物の調整に奔走するパパ。

メリット・デメリットを提示しママの考えへ誘導を試みたが、

動じること無く16インチを主張する次女。

最終的には「ファッション」と言われ、パパ受諾。

パパは改めて、

「次女はヤルと言ったらヤル」んだな、と思うことにした。

元々、主張を曲げる事はしなかった。

高3の時、受験に際し「目的と手段」を議論した事がきっかけなのか、

次女はその後も独自の解釈を「よりいっそう」深めていった。

自動車学校行かない宣言の次は何かと思えば、

「自分の会社を起業する」と言う。

しかし、次女の親が佐和子さん雅治さんで良かったよ。

※この親だからこの子と言う論もあるけど

ごく普通の御家庭だったら理解出来ず鬱になってしまうだろう。

馬場さんちが雅治さんの起業に際し理解できず、

起業は大企業が子会社を作るパターンしかない、

個人が起業するのはヤクザの世界だけだと思っていた馬場家。

そんな中でパパは21歳でdoクラフトを起業した手前、

次女の起業宣言に反対もできず。

着々と準備は進めていったが、まさかの頓挫。

なんと社名が決まらず、それで一ヶ月近く時間を費やす。

「目的と手段」を元ネタして導き出そうとしたが難しく、

原点に戻り「真凪」からの派生を考えた。

数々の外国語に照らし合わせてみた。

海岸線で波もない自然現象に凪と名前を付けてるのは日本語だけだと知った。

起業は法的に整備された事象なのでフォーマットさえ整えば出来る話。

ただ未成年者にはハードルが高い。

未成年で起業することへの価値観は本人しかわからないだろう。

紙と印鑑と言う令和最後のアナロググッズを抱えて奔走した次女。

無事、希望日に設立が叶った。

パパは改めて、

「次女はヤルと言ったらヤル」んだな、と思うことにした。

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改めて、お誕生日おめでとう。

そして、素敵なパパ役を与えてくれて、ありがとう。

今はあまり感じてないかもしれないけど、

次女にとって今の日本は生きづらいと思います。

特に田舎の大分では何もかもユルくて議論のテーブルにさえ着けない。

逆に議論をしたがるヤツは本論を極めて無い聞きかじりや、

薄っぺらい主義を押し付けてくるヤツしか居ない。

それでも市議になれる。笑

じゃあ都会に行けば同等の人が居るかと言えば定かではない。

確かに世の中には出来る人や天才は一定数居る。

この先、尊敬出来る人に出会えたら良いねぇ。

パパはまだ出会えていません。

世の中、知識量を基準に人の優劣を述べる風潮がある。

そうすると子供と大人では絶対的に差が出てしまう。

子供の発想力とか好奇心とかのパワーって、

大人と優劣競うほどもなく膨大なのに小さいってだけでナメられる。

あと女である事もかな…。

もちろん自然界でも知識量(経験値)が生死を分ける。

でも人間社会って生死に関係ない知識量で優劣を競う事が多い。

くだらんけど読書量自慢とか多いわなぁ。

自分で創造出来ないので他人の世界観を鵜呑みにして自分を誇張する。

多くの著名書を読破したので自分は偉いと言う勘違いって。

こういう人って災害時に太宰治とかマルクスの教えで生き延びるかね?笑

・既成概念

・既得権益

・先駆有利

・前例主義

・共同幻想

などなど次女がアレアレ?って思う事いっぱいの世の中です。

一方で、

そんな人たちがルールを作って運営しているのが現代社会。

法律(絶対)と慣習(あいまい)が共存しています。

それもとてつもなくアンバランスに共存しています。

ただ、その世界でも絶対的に注目される事が2つあって、

お金と時間については十分過ぎるほどの精査し計画を立てて下さい。

特にヴィントシュティレの案件だとこの2つのミスは許されません。

山崎真凪では許されてきた事も法人では許されないし、

個人取引は消費者保護法で守られているけど、

法人取引に保護法はありません。

偽物を掴まされたら「検品せず買った方が悪い」が結論。

次女の得意技で相手に懐柔するテクニックがある、

それはそれで良いと思う。

しかしヴィントシュティレはそうは行かない。

意図的にミスを誘導してそれを餌にするビジネスもある。

悪意は無いとしても、

売上を1円でも多く取るのも戦い。

仕入を1円でも安くさせるのも戦い。

勝つためには相手を上回る知識を得なさい。

勝つためには相手を上回る力(人・金・権利・・・)を得なさい。

表は常に真凪スマイルで。笑

裏では圧倒的な武力(笑)を整備しておく。

そして場面に応じ、喜怒哀楽をバランス良く。

最後に、

もう成人したので真凪さんは独立した個人です。

パパは何も手出し出来ませんし、しません。

パパはこれからどんどん下降線に沿って0%に向けて歩いて生きます。

徐々に役に立たなくなってくる。

でも、

変な分野を含め物知りのおじちゃんとして仲良くして頂ければ幸いです。

そして、

面白い体験をしたらぜひ教えて下さい。

・雅治

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