20年前、6月11日の夕方、
私は、美術の二宮先生とビアガーデンに行こうと、
大分駅周辺を散策していた。
いくつか回ったが、
値段と内容にお得感を感じる店がなくて解散。
なにもせずに城崎に帰宅した。
もし、
飲んだくれ帰宅してたら怒られてただろうなぁ。
ママは、あれこれ準備をしていた。
ソフィアクリニックの1週間の入院準備だ。
一泊でも大騒ぎの荷物なのに、1週間となれば、
どれだけの事か想像出来るだろう。
そして「そろそろかな?と」言った。
私は、そのまま酒を飲まずに自室でグダグダ。
夜中を過ぎて、
ママが「行きましょう」と、
荷物をもってソフィアクリニックへ。
町田先生家から頂いたイヌのぬいぐるみ3体。
私は、最初の子は一番小さい子になるとママと話した。
結果、確かに「出産時」一番小さい子が生まれた。
ソフィアでも馬場先生の弟夫婦だと知られていたが、
特別な事も無く。
ママが心酔した江上さん?と言う助産師さんに助けられて、
無事出産を終えた。
音楽で歌うような産声を上げた女の子。
でも知恵と人との調和を大切にする意味を込め、
「詩音」と名付けた。
実は、名付けは急がなくてもよかったのに、
ソフィアクリニックの新生児室に、
赤ちゃんの名札をみると、名前が書いてあった。
佐和子ベビー と言う様に、
それは母親の名前だったのに、私は子供の名前かと、
急いで決めねば新生児室に入れてもらえないと勘違いして、
当夜に決定したのだった。
義母が名付させなかったと怒っていてケンカとなった。
もうこの人はカンベンして欲しい。
5日ほどが過ぎ、
城崎で3人の生活が始まる。
あ、そうそう、
詩音誕生の前にaiboが城崎の住人になっていた。
なのでaiboはウチの長男と言う扱い。
帰ってきた初日、城崎の部屋が寒いのか、
泣いてしまう詩音。
困り果てたママは、
「ソフィアクリニックへ帰そうか?」と言う。
私は写真を撮りまくる。
当時はフィルムのカメラだったので、
1日3回、カメラのキタムラに行ってた。
馬場家にとっては初めての女の子。
女の子を切望していた光子さんに逢わせたかったなぁ。
なにもかも初めての子育てに奔走する城崎。
世の中のお父さんと違って、
私は当時から城崎自宅勤務だったので、
比較的、お手伝いが出来たと思う。
夜中の抱っこ当番も、ママの助けになったのでは。
お風呂はママがやってた。
私は、出た後の拭き上げ、着替えを担当した。
詩音世代までは、ベビーパウダーを使ってた。
※真凪から、汗腺を痛めると廃止。
二人で、いろいろと試行錯誤しながらの毎日だった。
時折、アポなしで乱入してくる義母と戦う。
正巳さんが入院のため遠方に滞在していて、
その見舞いにママが行かねばならず、
初めて、父子二人だけの一日があった。
ママは母乳の冷凍ストックを作り、
万全の準備と最大の不安を残して出かけていった。
その日、私は、ずっと詩音のミニベッドの横で過ごした。
映画:ムトゥ 踊るマハラジャ を横目で見た。
ゴキゲンに、目を覚ましている時があったので、
お口にガーゼをちょんとすると、
「キャッキャ」と笑った。
私は初めて詩音の笑う姿が面白くてずっとそれをやってた。
ビデオ撮影するの忘れてた。
夕方無事、ママが帰ってきた。
私の制作していたTV番組のオープニング曲が
夜泣きに聞くことが判り、なんども実験した。
1ヶ月のお宮参り
100日のお食い初め
ママお友達から、アヒルのおもちゃを頂いた。
ケロケロ言ってボールを出し入れするのだが、
とてもうるさくて、これはテロか?と速攻撤去された。
この頃になると、ハイハイをするはずが、せず。
両手をあげて、コロコロと転がる方法で移動し始めた。
そして、リビングとキッチンを隔てる仕切りを、
未使用だった障子扉をつかって作った。
仕切りを作った時期、
詩音誕生記念に、ニンニク醤油を作った。
いまでも残っている。
そろそろお出かけも出来る様になってきたので、
上春日や幼稚園に、時折行く事が増えてきた。
11月、正巳さんの受勲で東京に行った。
赤ちゃんが飛行機で耳を詰まらせる防止に、
授乳すると良いと噂を聞いて山崎家は盛り上がっていた。
着陸後「飲ませたか?」「飲ませた」「良かった!」
私は科学的根拠がないのになあ、と思っていた。
時折、不思議な慣習を疑問無く取り入れる山崎家だった。
ソフィアクリニックで一緒だった家族が城崎にきた。
ミネストローネだしたけど、気に入らなかったかな。
名古屋にママ友達の結婚式に三人で行った。
離乳食の出し方がステキと、ママが喜ぶ。
ママの友達の赤ちゃんを1日預かった。
1歳になると、少しだけ私と会話が出来る様になってきた。
この時期で、ようやく自分の子供と実感した。
トムとジェリーが好きだった。
ママは大分をくまなく走査して、子供用品の手配に走った。
当時は店がすくなかった。
やがて、ママの中に次女が入り、ママは寝たきり生活になる。
その頃、後藤知江先生の舞台の手伝いで数日家を空けた。
その事が気に入らないとママの心に大きなヒビが入った。
ママがきつそうな時は、詩音と私は二人でお散歩に出た。
城址公園でお弁当を食べたり、
大手町のロイヤルホスト(当時)横の公園で遊んだ。
トキハまで言ったこともあったなぁ。
三輪車を手に入れて、私が後ろから棒で押す散歩が流行った。
一度だけ、うまく操作できずに詩音がコケた。
私は「なんしよんか」と強めに言ったが、
たぶん初めてのパパの否定的な言い方におびえた顔を見せた。
この秋、フィルムカメラから、デジタル一眼に変えた。
初めて、マリンパレス(当時)に行った。
やがて真凪の出産。
真凪が城崎に参加した時期、詩音は普通にゴハンだった。
ハヤシライスがおいしかったのか、顔ベタベタにして食べた。
ママは、
「いいよ、汚してもいいから食べて」と笑った。
数日後、別の食材で顔を汚したら、怒られた詩音。
初めて社会の矛盾を感じた1歳だった。
下の子が出来ると、長子が赤ちゃん返りをする事が懸念だった。
でも、城崎では赤ちゃんにかまっている間に放置されることは無く、
ママか私がいるので、詩音はそうでもなかったように思う。
やがて真凪も歩けるようになると、
二人そろいの衣装が城崎に増えていった。
真凪のべビーカーの後ろに台車をつけて移動するのも一時期流行った。
3回くらい使ったかな。
そして、公式に幼稚園3歳組に進む。
ママの公正な考えから、私は午前4時からならんだ。
3人ほどの他のパパとならんだ。
マンガ:F を全巻持って行った。
2002年、サッカーワールドカップが大分で。
4人で行った。
三信工業敷地で、スウェーデンチームが練習した。
詩音は幼稚園で、なんでも頑張った。
一輪車も竹馬もフラフープも。
残念ながらマラソン大会のカップが取れず落ち込んだ。
城崎で表彰式を模したがニセモノでは効果無かった。
その影響で、幼稚園ではカップ授与が廃止となった。
自我として、真凪と自分は別の生き物ある事が意識し始め、
少しづつ衝突することが増えてきた。
特に、モノの占有権については難しいことが多かった。
運動会でも、発表会でも、夏祭りでも、全力でやっていった。
それゆえ自分の納得いかない結果には相応にマイナスに向かう。
私は、あまり市販のおもちゃを導入しなかった。
なんでも遊び道具になると思っているからだ。
購入おもちゃは山崎家がやっていた。
おもちゃの与え方にも人生観でるなぁと思った。
とにかく、本物を見せ、体験させたかった。
ほんとは私が行きたかった。
博物館・美術館・科学館など行った。
その結果なのか、疑問は質問をするし、
質問の回答には根拠を求める。
おかげで、人間関係に苦労がある3姉妹となった。
詩音は、スキキライは少ない方だ。
下2人はウルサイが、詩音はなんでも口にする。
でも、それは味覚が鈍いとかではなく、
食べる事の面白さを楽しんでいる故、
例えばおいしくないとしても、そのおいしくなさ
あるいは、どこかに良いところはないか?を模索している。
その事は、詩音の友人作りにもあるようで、
キライな人とも壁を作れず、なんとか良い点を見つけようと、
努力して無駄に終わり、自分が傷つく。
小学校は、城崎に居たので、荷揚町小学校に行った。
見知らぬ集団に入ることは、上手の様だ。
下校初日は、気になって学校が見える所まで行き、
陰に隠れて帰宅を見守った。
道の草花に手を出すなど、
一秒一秒を大切に楽しんでいるようだった。
慣れた頃には、帰路の途中でトイレを借りる事があったと言う。
上春日に移転し、転校となると判った時、
バス通学で通うといい、バスの練習をやり遂げた。
詩音は、課題を突きつけられると必ずやってのける。
結果、転校となった。
理由は、親の送迎になることは目に見えているし、
三女の誕生もあって、
その精神的負担が家庭に影響する事を考慮しての結論。
にしの台小学校の転校手続きに、私は同行した。
新学期転校なので、他の転校生と共に手続きをする。
クラスに分かれて自由時間になったが、
多くは級友とかたまり、詩音は一人になる。
教壇に集まっていた数名の男子に近づいたが、
小2男子は女子との距離感に緊張するので、
アクションはなく、そのまま。
小学校時代は、楽しいことが一杯だった様に思う。
最大の敵は次女か?
ニンテンドーDSを初購入する際、
狭間イオンで、泣いた詩音。
聞けば次女とケンカになるので、一人一台欲しいと言う。
もちろん、ママに怒られ、一台購入。
当然、ケンカもしつつ、誕生日ごとにカードを購入した。
ゲームボーイミクロってものあったな。
後、私の健康管理のためWii+Fitを導入。
詩音のmeと詩音の動きが似てて、私は一人笑った。
徐々にDSも人数分となり、
私も3人に参加して
マリオパーティーをした事がある。
相手を負かすゲームだから、徐々に辛辣な空気となって
一時期禁止令もあった。
詩音の転機は、小5なのかな。
クラスメートの構成が良かったのか、
特に男子を中心とした話題が多かった。
運動会でも、日々の生活でも、学校中心の話題だった。
でも、前述の根拠を求める正義感の行き過ぎから、
ゆるい対応の教師とは衝突もあったようだ。
それと同時に、母との衝突もちらほら。
ウチは、ママの方針で動く家庭だ。
その方針の決定に入り込めなければ自分の意向は通らない。
私は父と言えども居るだけの営繕担当用務員なので、
ママがYesと言わない事には加担しない。
特に三女が巧みにその隙間を縫って行くので、
別の腹立たしさもあったのかもしれない。
TVでイモトが流行って、詩音が似ていると話題に。
中学に進む際、国立校の受験をした。
本人的には、頑張ったのだと思うし、見ていてそうだった。
しかし、やはり空回りの部分があったのかな。
進学の根拠が曖昧だった?
希望とは少し離れた結果を得た。
少し、詩音が荒れていた時期。
顔もブスだったなぁ。
その事が善悪どちらに作用しているのか判らないが、
下の二人は、その影響で、自宅学習に疑問を持っていない。
姉はやはりお手本となる存在になっていた。
私の兄も学習の鬼だったが、私は違う道を歩いた。
小学生6年生の6月の誕生日
「パパ、抱っこして」と来た。
二人で子供時代のお別れをした。
中学校で、剣道を始めた。
試合前夜に初めて防具をつけるシロウトっぷり。
見る方もルール判らずはじめてと言うグダグダ。
剣道はそれ以後も続けている。
ママが居ない夜、体調が悪いと、
私に生理用品を買いに行けと言う。
なんとか買ってきたが、銘柄が違うと後でママに怒られる二人。
中学生、
部活に励み、京都旅行に騒ぎ、楽しかったのだろう。
高校受験は、中学受験の経験から、
ポイントを押さえて取り組んだようだ。
希望の進路に乗った。
高校でも、剣道を続けていた。
有数の強豪校であるため練習も容赦ない。
それでも詩音は楽しんで付いていった。
靴下がやぶれた様に皮膚が剥がれてもいた。
本人はキツイ事もあったようだが、
私には舞鶴最強説を熱心に話してくれた。
ベトナム旅行は不本意が多かったようだ。
特にクラスメイトの事で、楽しめなかった部分もあったらしい。
この頃なのかな、人間関係に異論を口にするようになったのは。
高校2年くらいになると、私との接触も少なくなってきた。
結果として、私は詩音の大学進学について何も知らない。
入学してしばらくして昭和女子大に行った事を知った。
当時、関与していれば別の選択肢を提案できたかもしれなし。
あるいは余計な事に混乱させたかも知れない。
詩音の大学受験時と、私の作業場構築とが重なり、
物理的に距離があった事も原因だろう。
その後も、私は湯布院に通った時期や、
緊急入院をするなどで、ますます疎遠になった。
大学1年の夏、詩音が極度な頭痛で塞ぎ込む。
ネットを通じて、症状を聞くが民間療法では対処できず。
福岡くらいなら走るのだが、さすがに東京は遠い。
この時は、本当に距離を感じた。
病院に行くことで、なんとか処置できた。
その後、帰省の度に、飲食をし、
時折、遠距離ネットTV電話で諸処を聞く。
あと3年? 大丈夫かな。
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改めまして、
お誕生日おめでとう。
そして、
父をやらしてくれて、ありがとう。
パパはお金もないし、
家をほったらかして出て行くし、
父として何もできてないけど、
近所の物知りおじちゃんくらいなら、
もうしばらく出来そうです。
先日、発達障害の子供を預かる施設に
バイトの募集があったので、潜入してみようかと
応募を試みたが、
よく考えると、漢字書けないし、文書作業できないよね。
なので、やめた。
そうすると、今後、どこかに就職など出来ないわけで、
ああ、ワシの人生、選択肢は狭いな、と笑った所です。
詩音さん、いろいろ思う事あるだろう。
キツイ事もあるだろう。
でも、喜怒哀楽って単語があるように、
4つの感情がそろって一式なんだと思う。
バランスの問題はもちろんあります。
怒ばかりの人もいるし、
はため楽ばかりに思える人もいるだろう。
自分なりのブレンド割合を見つけていくんだと思う。
いろいろあるけど、
それはすべて他人の事情なので、
そこでしっかり線を引いた上で接してはどうかな。
パパは、詩音さんのいまの課題点は心配していません。
一輪車や剣道を乗り越えてきたと変わらないでしょう。
一番心配なのはね、
詩音さんの最大の敵は詩音さんである事。
・自分に嘘ついて場を取り繕うこと
・自分にない回答に従うこと
・自分が許せない現象を容認すること
そして、
それらをやってしまう自分を嫌いになること。
が、一番気がかりです。
それ以外は、なんも心配していません。
今後、全てが自己責任になります。
親が口をだす権限はないし、親に従う義務もないです。
法律要素内では親が助けることも出来ません。
法律に基づき、
その時代のその場の常識と事実があって、
それをどう解釈し言動するのか、だけ。
根拠(ルール)を軸に決めるのも良いし、
慣習を参考にするもいい、
当事者の意見でもいいし、
上級者の独断でも良いです。
そうやって集団と社会は動いてきます。
また集団である以上、必ず、主と従に分かれます。
主に立てば、相応の力を求められます。
従に就けば、主を全力で支えるべき。
キツイ事もあります。
でも、喜怒哀楽は、4つセットです。
詩音オリジナルブレンド、研究してみて下さい。
大分に帰省時は、大いに議論しましょう。
・雅治