☆2004年 76点
この公言に対しては、十分に取り組めたと感じている。
===<2004に向けて、より引用>===
美しい名刺交換 とか
犯人を推理したくなる見積価格 とか
感動の嵐を呼ぶ電話の取り方 とか
自分の人生を重ねてしまうメールタイトル とか
===<2004に向けて、より引用>===
上記のような事象は無かったようだが、私の仕事の取り組み方や、
手法について、あるいは、技術や知識などの紹介を行う中で、
より効果的に、お見せできたと思う。
また、努めてエンタテインメント性を引用して話をした。
例えば、「まるでドラマのストーリーのようにシステムが」
というように、いまから目にする事は、娯楽であるとした。
逆に、エンタテインメント分野から日常の仕事に引用した。
映画作品の中で使われているツールの成り立ちや
テレビ番組の中で、取り入れるべきノウハウの紹介など。
また、映画に例えると、互いに共通の記憶や体験をもとに
話を進めることができるため、私はよく使う手法である。
2004年は、十分に、エンタテインメントの活用を行ったし、
自分自身、感動的な仕事ぶり、をお見せできたと感じている。
さて、なのに、なぜ76点なのか。
毎年行っている、この評点は、公言に対しての成果点ではなく、
自分自身の生活・意識・環境との距離・社会性など、
あらゆる点を考慮して、自分が自分に与える成績点である。
前年(2003)の評点は、89点だったから、大きく減点となった。
理由は、自分の中で大きく成りつつある「慢心」に関連してくる。
これまで、「私はこうあるべきだと思う」という主義主張をベースに
人生を営んできた。
例え、相手が個人であろうが、組織であろうが、社会であろうが、
持論をもってして、接してきた。
かつて、(株)doクラフトを経営危機に追い込み、
組織として機能しなくなった原因が、この慢心にあったと
自己分析として持っていながら、再び慢心とも思える言動が、
2004年は、いくつかあったと記憶している。
であるなら、反省の意味でもっと点が低くなって良いのでは?との指摘もあるが、
「ソレはそれ・コレはこれ」なのである。
私の中に、「慢心」と同じベクトルで紙一枚に隔てたところに、
「自信」が存在するのである。
人に言わせれば、「その自信ありげな態度は高く評価する」との事。
2004年、慢心はあったものの、それ以上に自信もあったし、
その自信の根拠を成立させるための努力は惜しまなかった。
結果の76点は、反省しているようで反省してない
そんな微妙な評点である。
でも、それが私の良いところなのである。
37歳、未だ「日の出を制する」には至らず・・・・・
総合評価76点
1年のメール:8773本
送信と受信を含め
メーリング・ニュース・受託管理者連絡は含まず
☆慣れと危険
私が、後藤智江(現代舞踊家)に師事しているのは、ネタでも無く事実である。
とはいえ、舞踊の教えを受けていたのは、15年以上も前に整理がついて、
今は、師が関与する舞台・公演のお手伝いをさせて頂く関係である。
師の舞台・公演を陰で支え、衣装・大道具・装置制作を統括する
「永田組」に私は所属して、15年以上になる。
15年と長いようであるが、年に2〜3日であり、シロウトぺいぺいなのである。
しかし、自分の中では、舞台の設備や言葉、段取りなど理解し、少しは舞台公演を
知った古参要員の様な気になっていた。
今年(2004)そんな慢心があったと反省する事件が起こった。
2004年4月17日 大分市「グランシアタ」で開催された
湯布院源流太鼓の公演を、永田組でお手伝いすることになった。
湯布院源流太鼓は、大分県のみならず、国内及び海外でも活躍する
和太鼓集団であるが、昨年2003年11月に、後藤智江と
「アラスカ(野生の女)」で共演したきっかけで交流があり、
自分たちも、グランシアタで公演実現を希望し、
永田組も全面支援で、準備が進められた。
同日、直径2mにもなる大太鼓などが舞台に配置され、
我々も周辺整備や、演出用の幕など準備を進めていった。
本番開始、幕が開き、順調にプログラムを進めていくが、
永田組の出番の1つに、炎の揺らぎを背景照明に
実現する装置があった。
装置の出番がくれば、転換の間に、舞台後部に速やかに位置して
揺らぎを手動で出していくのである。(通称メラ)
事件は、この揺らぎ装置に関連する。
出番のいくつか前の演奏中に、装置の状況が気になり、
舞台では真剣な演奏が行われているにもかかわらず、
幕や照明機器の間から、装置のところまで行ったのである。
もちろん装置に問題はなく、心配は解消され、舞台の袖(外横)に
戻ろうとしたときだ。
舞台では演奏が終わり、次の演出にむけて、幕や照明が移動していた。
グランシアタの装置は、最新式であり、すべてが電動になっている。
大分文化会館の幕移動は手動で、滑車の音がカラカラ聞こえ、気が付くが、
電動では、音もなく、かなりの速度で、幕が移動する。
そのとき、私はホリゾントと呼ばれる、最後部の白い全面幕の真下にいた。
幕をしっかりと張るため、下部には数百キロの鉄柱が入っている。
何気なく、見上げたら、そのホリゾントが真上から、自分めがけて降りてくる。
当然、舞台の転換中なので、真っ暗で、なにも見えず、音もしない。
知識としてホリゾントの位置に居る事から、危険を感じ、安全な場所に
身をかわすことで、事なきを得た。
もし、あのときに、ホリゾントの下敷きになっていたら、
自分の身は無事ではなかったろうし、何千人・何万人という人たちが
楽しみにしていた、この本番を人身事故発生で台無しにしていたところだ。
それどころか、永田組、ついには後藤智江の舞踊家生命まで
脅かすところだった。
そのときは、「あぶなかったぜー」という程度だったが、
日がたつにつれ、今となっては、大変な事故になる行動だったと
強烈に反省している。
「慣れから危険」につながると言うのは、伝説や諺でなく、現実だと実感した。
自分自身、心がけていくと同時に、後進にも厳しく指導していきたい。
☆生と死と天と地と
2004年も、いくつかの生に出会い、いくつかと死で分かれた。
自分が、そういう世代なのか、周囲に出産が続いている。
受精後、細胞核が分割し、細胞分裂が進んで、身体を形作り、生まれ出てくる。
その最初の分割で2つになった細胞が、身体の右半分と左半分らしい。
私の長女は、鼻の先端にちょっとした目立たないスジがある。
これも、その細胞分裂のなごりなのか?
ゆえ、わたしは新生児をみると、鼻先を見てしまう。
この細胞分裂自体が、人間の寿命に大きく影響していると論じられている。(らしい)
細胞核を成す遺伝子という糸の後部に、テロメラーゼと呼ばれる部分があり、
細胞分裂の度に、短くなるそうな。
遺伝子の長さが分割できないほど短く限界に来た段階で、細胞の寿命に達し、
細胞分裂が進まず代謝が止まり、つまりは、その人も寿命に達する。
今年遭遇したいくつか死は、事故、あるいは病によるものである。
テロメラーゼが持つ寿命を、消費せずに迎えた死だと思われる。
テロメラーゼの理論からすると、120歳以上は生きられないらしい。
勉強に励み、親の言うことをよく聞いて、好き嫌いせず、よくかんで食べ、
小食を心がけ、暴飲せず、マイクが来たなら微笑んでオハコを1つ歌い、
早寝早起きして、歯磨きも欠かさず、挨拶をハキハキしても、
120歳までしか、生きられないのである。
コンピュータシステム屋としては、上限値が決まるほど、
設計にありがたいことはない。
顧客データベースを作るにしても、300人なのか3万人なのか、
300億人なのか、決めてもらわねば、作りが変わってくるのである。
とはいえ、120年に決めたよ、と
自分の生存期限を区切られたら、なんだかなー。
120年で、何を成すか?
すでに、37年、使ってしもうた。
9月に大きな台風が大分市を直撃した。
2001年に植樹した、三信工業のXマスツリー、台風で大きな傷を負った。
三信工業グループの象徴として存続させるべく、適宜手を施し、
今年は、大がかりなミノムシ駆除をおこなった。
努力したとは私の言い分であり、自然界で人間の力は、まったく無力、
天が召した風の力は強大で、防ぐ手段も与えなかった。
しかし、地に張り付いた木の力も、風にあがらうに等しく、
傾きはしたものの、その命を絶つまでには至らなかった。
大切な枝を数本無くしはしたものの、11月26日のXマスツリー点灯式には
400人ちかくの観衆の目前で、照明をまとって、光り輝いた。
風と木は、地球立史後、絶え間なく駆け引きを続け、今もなお、
そしてこれからの未来、何億年も続いていくだろう。
それに比べれば、三信工業50年の中で、あるいは今後も経験していく
浮き沈みなど、たいした事でないことと思われる。
天物の力と地物の力と、自分の無力、を感じた出来事だった。
そんな無力な自分も、疾病問題がある。
膵臓が、弱いらしい。
内科医の話によると、膵臓炎だか膵臓萎縮だか、
インシュリンの分泌が正常とは言えないとのこと。
出ないのが糖尿で、出過ぎるのがインスリノーマ
出過ぎ傾向らしいが、正常時間で血糖値は正常に。
(グラフで見ると、出足が急なだけ)
ブドウ糖摂取後の30分毎、6回採血(イテーカッタヨ)と
内臓エコーの検査をうけた。
結果、異常は見つからず........。
ナンダヨ、ソレ。
もう1点
頸椎のヘルニア
首の神経が圧迫されている、ことによる右上半身のしびれなど。
けっこう顕著で、悪化の場合は生活に支障もあるかも。
その際は、口でなんとかする業種に転向だ。
自分自身、テロメラーゼが引いてくれた120年のレールを
走破しきれない可能性も出てきて、残余期間の使途に困惑中。
生と死と天と地
これらは、すべてが真実で、ウソがない。
自然界に挑戦する私にとって、まず直面する大いなる壁である。
☆飲食と調理
飲食に関して、特別な思いがある。
「味覚が故郷」
と、雅治語録なのだが、
盆と正月、なぜ多くの人は、困難を承知で、帰郷するのか?
と、その疑問に、「味覚が故郷」と仮説を立てた。
つまり、生まれ育った味を求めて、帰郷する。
実家周辺の景色が恋しいとか、家系や友人に面会、という楽しみもあるだろうが、
ばあさん・母親の料理や、幼少からいきつけのお好み焼き屋
その土地でしか取れない食材などなど。
飲食にしぼってみても、帰郷に値する条件は整うのである。
逆に、帰郷に興味がない私の知人友人の共通点は「帰郷の意義の欠如」なのである。
私も含め、その多くは、生まれ育った味覚との断絶にポイントがあるようだ。
昨今、吉野屋の牛丼が、絶滅しかけている。
この牛丼が故郷だった人たちの多くが、パニックになった。
さすがに時間がたち、故郷との別れを受け入れた人もいるようだが....。
腹が減っているのに牛丼が食べられないという「リアルな被害感」より、
今後、吉野屋の牛丼が食べられないという「未来に対する絶望感」の方が、痛い。
生と死が絶対である、と同時に、味覚も絶対である。
なぜ私が自ら調理に手を出すのか、という答えの1つが、
「味覚の故郷の再現」を求めてのことだと感じている。
しかし似たものは出来るが、完全な再現には、いまのところ至ってない。
さて、うちの娘さんたちは、生来、独自の家庭料理で育ってきた。
たぶんに、世界中どこにも同じ味を出せる料理人はいない。
今後、成長し、うちを離れたり、否定したり、とあるかもしれないが、
「おまえらにとって帰る場所は、ここしかないのだー!!」と、
「味覚が故郷」の仮説立証の為、数十年がかりの壮大な実験中である。
私が自分で調理に関与したのは、4歳くらいだったか、
母親とカレーを作ったときに、リンゴをすりおろすのを
手伝ったことだと、記憶している。
次の次元で調理にめざめるのは、高校1年の夏休み、
大分市新栄町のシャンテドール2Fフレンチレストランでのアルバイト。
1ヶ月間ちょいだったが、その中で、いろいろな体験をした。
鍋のアクをていねいに取り続けることも、
煮込みや炒めで1〜2時間付きっきりは当然の事
なんて話も、ここで学んだ。
特に、鶏ガラからブイヨンを作る工程は、いまでも役に立っており、
うちの娘さんたちが好きなスープは、鶏ガラを購入し、ブイヨン作りから始まる。
ゆえ、「今日、何食べたい?」と希望を聞いても、内容によっては
「じゃ、明日準備して、明後日ねー」というモノも多い。
(もちろん固形スープを使うことも多い、そのほうが味がフラットなので)
その調理の師となるチーフ(シェフ)が、
引用:カレーハウスNo2藤田
氏である。
私にとっては、シャンテドール(藤田氏)も、味覚の故郷であった。
16歳の時、アルバイト1ヶ月からずいぶんとたって、2年ほど前、
どうしても藤田氏の味に触れたくて、藤田氏を捜した。
20年ぶりの再会でも、藤田氏のソースは同じ味だった。
再会後、時折、店を訪れては、調理やレシピについて、教えを受ける。
とはいえ、頂く指導は、かつてアルバイト時とおなじく、
「炒めが2時間・粗熱1時間・煮込み4時間・・・・」とヘビーだ。
そして、そのヘビーで手の込んだ料理が日常となる、うちの娘さんたちは
ますます「パパのワナ」にはまっていくのである。
ここ数年、シャンパンを飲んできた。
とはいえ、モエ・シャンドン(LVMH社)の限られた製品だが。
2004年後半、赤ワインに回帰してみようと、銘柄を模索中。
・シャトームートンローシルト2001
・シャトーマルゴー2001
・シャンボルミュジニー(ミッシェルグロ)1998
・エシュゾー(DRC)2001
あたりをそろえてみたが、さてどうやって飲むか?
酒だけ飲んでウマイものは、そう多くないと感じており、
適切な酒肴・適切な場・適切な人、など好条件がそろって
「ウマイ」と思うのだと、信じている。
もしかして、自分自身が未だこのワインたちを飲むに
相応しくない状態だったりして......。
☆仕事をするにあたり
私の関与する5団体の1つに、IT事業部というのがある。
現在、私を含め、5人のチームだ。
社内体制の変革期にあり、そのモデルケースとなるように、
活動をしているのだが、私の要求するスピード感・スケール感と
スタッフの現実にズレがあることが1年経ってみて、ようやく判った。
仕事は、任せておき、問題があれば、報告を受け、
対処すれば良いはずだ、と思っていた。
子供じゃないんだし、業務の手順などは自分で考え
多少の問題点も、自分で解決するはずだ。
自分の現状を基準にチーム運営を行ってきた。
この無責任な運営も「自分なら出来る」という慢心だろう。
スマトラ沖地震で、津波についての経験がなかった住民が
引き潮の海岸に歩み出て、被害が拡大したらしい。
連日のニュースの中に、「地震後の引き潮は津波の前兆である」と
知ってさえいれば、被害が少なかった、と事後論が繰り返される。
私の無責任なチーム運営の理論からすると、
「地震がくる前に、なぜ相談しなかったのだ?」
「地震がきたら津波がくるなんて、考えたらわかるだろうが!」
と、いう結論にいたる。
なんか、おかしくないか?
チームのボスとして位置するなら、
過去の経験や他所の事例からトラブルの防止策を施し、
あり得ない事例だとしても、理論上、起こりうる事には、
日頃から自分たちに置き換えて考え、
技術や知識、また精神の強化などにも、注力すべきであった。
大分のクライアントの指示で、調査先がある沖縄に、初めて行った。
旅行ではなかったので、空港・訪問先・ホテル・訪問先・空港
という、本当に仕事だけだった。(まあ、泡盛は飲んだけど)
任務は、金融業システムに関する調査分析だった。
訪問先は、独特の組織運営を行っているようで、今回、私は、
自分がいくつか持つシステム分析手法のチョイスに苦労した。
例えば
製造業であれば、材料と工程とロス管理で、話が通じる。
販売業であれば、仕入れと在庫滞留時間とアイテム数で、話ができる。
研究施設であれば、自慢話・苦労話を聞く中から始まる。
今回は、事前情報で得た中から、想像は出来たものの、
大分のクライアントの要望からすると、業務全貌を
見て帰る必要があるので、手法は、シンプルな物を選んだ。
結果、私が選んだ調査手法は
「しくみを作った人に直接、私に浮かんだ疑問を聞く」
調査先には、社長(仕組み作りの本人)を含む幹部数人も同席頂いて、
私から業務に関する質疑応答の時間をとってもらった。
浮かんだ疑問を聞くわけだから、第1声は
「この会社、なにをやっている会社ですか?」と始まる。
大分から同行した2名は、この手法に馬場的アプローチの極意を見たと言うが、
ただ単に「私が知らないことを最初から聞いてみる」というシンプルな手法である。
(まあ、言葉1つ間違えたら、沖縄でサメのエサだったろうが)
「この会社、なにをやっている会社ですか?」と切り出す私に
「なんじゃ、なめとんのか?おまえ何しにきたんか!」とは行かず、
私は刺されもせず、静かに私の問いに対して、率直に答え続けてくれた社長であった。
業務の中にいくつか矛盾が発見され、そこを突いた無礼な質問もあったが
「指摘の通り今後の課題だ」と答えた度量には、感激した。
聞く作業とは逆であるが「馬場的プレゼンテーション」で話すという
場合も同じく「知っていることを話す」というシンプルな手法である。
話したいことを「知っている」次元まで高めればよい。
聞くも話すも、簡単ようだけど、そうではない。
自分が出来るからといって、誰もができるわけではない。
もしくは、同じ手法で結果を出すわけでもない。
そんな慢心ばかりの、2004年の仕事ぶりだったと、感じる。
なにしろ、自分が一番次男なので。(チト、フルイカ....)
☆ファミリー
大きな事故もなく、入院などもなく、まずまず順調。
2004年は、次女真凪(まなぎ)が、3歳を迎えた年である。
うちの伝統、3歳直前のパパと二人っきり東京タワーを実施した。
長女詩音(うたね)の時から、はじまったこのイベントだ。
今回、真凪については、開催も危ぶまれたが、なんとか実施した。
これは、いつまで続くのだろうか。
12月23日、ママと娘さんたち2人で、Xマスプレゼント買いにでかけた。
目的は「ふたりはプリキュア・カードコミューン」らしい。
バンダイ社が販売している、たまごっちとバーコードバトラーを
一体にした育てゲーの1つで、メーカー希望小売価格3500円
長女詩音の希望らしく、11月のトイザラス広告に記載されているのを
しきりに見せてくれていた。
おばあちゃんが払うってことで、ママが代理購入のため、
大分トイザラスに行ったが売り切れ、トキハ本店・アクロス明野もなし。
ざっとネット検索するが、なし。
そこで私にヘルプコールが鳴る。
鼻毛(女に甘い男:トリビアの泉より)の私は、さっそく市場調査。
2004年2月に発売で、同9月が最終出荷。
爆発的人気で、店頭販売分は消滅したもよう。
発売元のバンダイから情報を得ると、直販の受付も受注終了の案内。
結局、「無い」と言うことを、長女詩音に説明するが、
どうしても、あきらめきれない様子で、ふさぎ込んでしまう。
うーん、(金銭的に)ムリをすれば、あるのは知っていた。
インターネットの時代、ネットオークションという物が身近になった。
欲しいひとが値段をつけて、競り合って落札する、まさに競りなのである。
当然、人気商品はネットオークションの華である。
23日17:00時点で、3500円が19200円の高値。(フザケルナー!)
その後、推移を見守ると、落札は23日の深夜26400円
モトは3500円でっせ。
きっと、同じ思いの世のお父さんの中で、娘の信頼を守った人がいたのね。
私も、手を引こうと思ったが、もうちょい模索して、落札時間が先の出品の中で
カードコミューン本体と別売のソフトケースの抱き合わせ販売を発見。
合わせて5000円のところを、8500円で提示中だった。
入札期限が、まだ2日後であったが、出品者と直接交渉し、
オークション手数料・送料・梱包など諸雑費込み+即納、なら即決だと条件を出す。
無事、成立し、25日には、長女詩音の手元に届いたのである。
大喜びで、遊んでいるわけだが、後日談もあって。
たまごっちをご存じの方は、わかるように、育てゲーゆえ、
ずーっとかまってなければ、ダメになってしまう。
さらに、事ある毎にピーとかキョロキョロ、とか音がする、
お世話のボタンを押すたびに、ピ・ピ・ピ、とうるさいのである。
結果、「うるさいから切りなさい」と、怒られ、ケースにしまう。
そうすると、しばらく忘れてしまう。
我が家のカードコミューンは、そんな特殊な環境下で、
どのような成長をするのだろうか。
☆海水について
慢心ではないけれど、自分の無知を実感した事件だった。
8月の終わり
夏休みも最後だからと、カミサンと子供2人が田浦の人口浜にいってきたらしい。
私は、業務でアイルテクノロジーズ前広氏と県北まで赴いていた。
帰ってみると、浜でサザエを拾ってきた、とうれしそうに話してくれる娘たち。
みるとサザエではなく、岩肌に生息する巻き貝の一種だろう。
外形1〜2センチほどのものだ。
ビニール袋にいれられた貝を、台所流しに置いてある。
私:「これどうするのよ?」
「おうちで飼うの」と、おっしゃる娘さん。
うーん「貝を飼っておもしろいのか?」というのが、わたしの最初の意見であった。
コイならば手を打てば応えよう、鳥ならばさえずろう。
しかし、貝がなつくとも思えないし、名を呼び振りかえりはしないだろう。
そうは言っても、海水の生物、ひとまずは、シオミズにいれなければ。
と、食塩を3%に溶かして、シオミズを作る私。
適当な器にいれて、貝をいれてみると......。
なんと、キツク閉ざしていたフタを開いて、新鮮なシオミズを吸ったかと思えば、
「グ、う、グワァーーーー、も、ギュ、グェーーー」というように
悶絶し、巻き貝から出入りし、やがて貝に収まり、再びキツク、フタを閉じる。
きっと、わたしがUFOに捕まり、真空に投げ出されたとき、
彼ら(貝たち)のような事になる、と、そんな罪悪感に襲われた。
「事は尋常ではない!!」
わたしの身体に1スジの不安がよぎり。
「海の生き物の生活を取り巻く海水は、シオミズじゃ無いのか?」
私は、これまで30数余年、海水はシオミズと思ってきた。
淡水生物に、水道水はマズイからくみ置き、という程度の延長で、
海水生物にはシオミズを、と思った。
なんとかしなければ、娘たちの思いと貝の生命が、危ぶまれる。
熱帯魚などを置くペットショップに海水そのものや
海水の基である、特殊なシオがあるらしい。
翌朝、ホームワイドがあくと同時に入店し、海水の基を手に入れる。
ペットショップ部に、海水生物の水槽があるわけで、
当然、水槽やらポンプやら、海水の基なんてのがある。
海水の基、箱をあけると単に白い粉がはいっているだけだが、
50リットル分で2000円なり。
さっそく自宅に帰り、準備を進めるが、どう考えても50リットルもいらない。
1リットルで充分である。
ペットボトルを洗い、1リットルをつくって、器に。
昨夜の貝の悶絶も記憶に新しいのに、人工海水にて、再びチャレンジ。
5個の貝を沈めてみて、しばし観察.........。
貝のフタあたりから、気泡が1つ、2つ。
すると、時間の経過とともに、中から、本体が出てきた。
悶絶することもなく、器にそって、散歩をはじめるくらい元気になっている。
「出たよー、きてきて」と喜ぶ私、娘さんたちも大喜び。
しばらく、器の中を、ジワリジワリと、移動する貝を眺めて
「あれ、コイツら、なに喰うんだ?」と、疑問のわたし。
水戻しのワカメなど、いれては見るものの、主食なのか定かで無し。
わたしは、また
「コイツらの食事に、奔走するのか?」
さらには、海水の濃度維持、浄化など、
行きつけの美容院のマスターが熱帯魚マニアで
水槽や装置が何十万円もした、なんてことを思いだし。
うーん、この貝を維持することに、どのくらいの意味があるのか
あるいは地球規模の意義は、いかほどなものなのか......。
と、自問自答し、娘さんたちにGiveUP宣言。
「やはり、この貝をうちで飼うことはできない、明日、海に帰してあげよう」
娘さんたちの中に葛藤があったか、定かではないが、翌朝、
捕獲した田浦の人口浜に戻しに行くことにした。
(その夜間、貝は器を脱出し、室内を放浪した強者もいた)
おりしも、台風接近の別府湾、波も高くて、田浦海岸入場も危ぶまれる中、
捕獲したという海岸の岩肌に、貝を放つ。
「貝もきっとパパとかママとか、お友達がいるわけだから、
離れてしまうの、イヤじゃなかったかな?」と私の話に、涙声でうなづく長女。
「でも、いま海に帰ってきて、パーティーしてるとおもう、
ウタネちゃんの顔のケーキでお祝いしてるよね!」と笑顔の長女。
シロサキ8月の貝事件、ひとりの死者を出すことなく、完結。
後日談、海水の基の箱を読むと、ミネラル成分やら粘膜成分やら、
あとは生物の生息域(海抜や砂場・岩場)によって、濃度を変えねばならないとか、
「単にシオミズでない条件」が、わんさかと出てくる。
美容院マスター曰く、海水が欲しければ、マリーンパレス「うみたまご」で
500リッター100円で販売しているらしい。
当然、館内でも使用している、浄化後の最適濃度の海水だ。
そして、残ったのは、夏の思い出と49リッター分の海水の基だ。
☆2005年のキーワード
今年のキーワードは2つ
・BBブランチ
・成すがままに在るがままに
・BBブランチ
2001年7月〜2003年12月まで開校しておりました、通称馬場塾、
BBブランチ「アイルテクノロジーズ(株)主催」の再開を計画しています。
本科・コンテンツキュレーター科・ネットワーク管理者科、と
3コースを実施し、のべ12人の卒業生を送り出しました。
開校のきっかけは、私が知り得た技術や体験を残したいと思い、
全てのカリキュラムは、私、自ら教壇に立ち講義を重ねつつ、
時には、私が全面的信頼を寄せるクリエイターを講師を招きOJTを行うなど、
いわゆる学校システムや資格ビジネスとは、一線を引く場であったと思っています。
さて、2005年春から開校予定しているBBブランチVol2は、
12名の卒業生の他に、外部講師などの意志を集約した本科リメイクコースと、
学校長自ら教壇に立つマスターコース、の2つの柱になると考えています。
具体的には
・本科(IT基礎と、Webシステム開発・マネージメント)
・プロジェクトクリエイター科(企画・提案・実現手配)
・(仮称)ホイワイトアウト科(起業後の事業再編・継続事業の再編、に関するシステム化)
などを考えています。
☆成すがままに在るがままに
2005年4月、わたしのところにコウノトリさんが来る予定になっています。
産婦人科のエコー写真をみるかぎり、その子の人生を左右するモノの存在は
未だ発見できない状態で、このまま春を迎えると思います。
「パパのワナ」にはめられる実験体が、増えるということになりますが、
城崎の中心がママとベビだけの生活になり、残された姫たちのお世話と、
全体の統括で、私はしばらく外界と縁遠くなることも想像されます。
(名前は顔を見るまで決めません、詩音も真凪もそうだったし)
また、一部から参加要請継続中の、組織運営上の問題につきましては、
今年は、もう先延ばしには出来ない事と、感じております。
一任を頂いた時点で、右か左か断する事も、在るがままに。
残された時間軸の使途も、成すがままに。
2005年は「受け身の年」かな?
追伸
受け身と受け入れると、違うと思うんだけど......。