☆2006年 81点
2006年頭に公言したキーワードは3つ
・新生活
・飲食業
・60点
・新生活
新生活には、2つある。
1点目は、
山崎雅治さんになって以来、ずっと過ごした、城崎町のマンションから、
戸建て新築へ引っ越した。
城崎町のマンション、
2人から始まった住人は、3人の娘さんたちを迎え、
5人家族が、喜怒哀楽を詰め込んだ一室だった。
生活の不自由を感じていたわけではないが、
老人夫婦と同居生活を考えての引っ越しである。
引っ越しを迎えるに当たり、私、根がシステム屋なので、
入念の事前計画やら、トラブル予測などを、
綿密におこなった、入魂のプロジェクトだった。
私にとっては、職場(会社)の移転でもあったわけで。
さらには、単に引っ越しという事ではなく、
新築で、さらに注文住宅である。
建築士・建設会社と、定期打ち合わせをおこなって、
こちらの意向を伝えて、仕上げてきた。
うーん、結果オーライではあるが、予測できなかった事も多く、
引っ越しの是非まで、再考させられることもあった。
住み慣れた、ストレスの無い城崎町の生活も捨てがたいが、
上春日町の新築も、必要に駆られての環境であり、
もう、今の生活はマンションでは、ムリ。
して、引っ越し屋に頼まなかったからであるが、
結局、城崎のマンションも、いまだ片づかぬママである。
新生活の2点目
飲食業の開業である。
年初、
いくつか、飲食業への関わり方を模索していたが、
結論として、
「移動販売のカレー屋」
となった。
カレーワゴンNo2mas
・飲食業
年初の記述によると
————————————————
方向性としては、
・洋食店
・居酒屋
・弁当屋
・給食屋
というところか。
開業にまで至るのか、
システム構築だけに終わるのか、
試行錯誤だけの1年となるか。
————————————————
とある。
これから判断すると、まだ2006年初時点では、
開業の意識は低かったようだ。
それが開業に至った経緯は、別述で。
・60点
出しゃばりすぎないことを数値として、
「60点でありたい」
と、表現した。
これは、達成できたと、感じている。
どちらかといえば、「引きこもり状態」であったので、
外交の機会が無く、出しゃばるチャンスがなかっただけもしれず。
—————–
2006年、振り返ってみれば、
山崎さん任務が多かった。
幼稚園関連・葬儀・株主・引っ越し、などなど。
馬場さん的活動は、下郡の消滅以降、
フェードアウトっぽい。
あ、でも、カレー屋は、馬場さん的だな。
また、今年、山崎家、統計開始(いつ?)以来、
初の人口減となった。
結果の81点は、昨年72点より向上した。
自分自身としては、充実の1年と思っており、
もう少し、高得点でも良いとは感じているが、
「うまく行かなかったこと」がゼロでもなく、
そこに自分の欠点が影響しているなら、
減点対象であろう。
39歳、未だ「日の出を制する」には至らず・・・・・
総合評価81点
1年のメール:・・・・・・
5月初旬、パソコンの破損で、
メールの一部が、紛失したため、正確な数字が把握できず、
今回は、提示無し。
☆バスを買いにいった
2005年末、
やまばと幼稚園で、図書室を拡充する計画があった。
創設以来、30余年が経つ、やまばと幼稚園は、
園児の増減に併せて、教室や職員室、準備室の配置や
レイアウトを変化させて対応してきた。
その結果、図書室が、「なんとなく」な状態だった。
スペースの都合で、やむを得ず。
広大な敷地であるが、平地は少ないため、
園舎に増築するなら、運動場を食い込むことになる。
できれば平地は有効利用できるようにしておきたい。
また、図書室だけを新築するわけにもいかず。
そこで、マイクロバスの中古車を購入し、
客席をはずして、ひろい部屋と見立てて図書室とする。
普段は、園舎に併設駐車をして、図書室として利用し、
運動会などスペースが必要な場合は、
自走して、移動すればよいのである。
さて、では、中古のマイクロバスを探しましょうと、
通園バスをお世話頂いている日産自動車に問い合わせ。
結果、希望は叶わず。
新車なら用意できるが、中古車、特に中型バスは、
アジア方面など、需要が大変多くて、まず、手に入らない。
そういえば、やまばと幼稚園にも、
中古車業者から、「手放す計画はないか?」と
問い合わせがあるくらいだから、簡単には、ないのだろう。
2005年末から、そういう事を考えていた。
ある日、
「そうか、ネットで中古車を探すべ!」
と、さっそく検索をかける。
もちろん、たくさんの情報があった。
いちばん、数が多いのが、大型路線バスの中古。
30〜50万円程度で、たくさんあった。
しかし、これでは、幼稚園の敷地まで、大きくて入らない。
中型マイクロバスが、ちょうど良いのだ。
もちろん、無いわけではない。
しかし、大きさがぴったりの車体があっても、
価格が高かったり、自走が困難だったり。
なかなか、うまくいかないな、と思っていた2006年3月。
ヤフーのオークションで、ナイスな物件を見つけた。
日産シビリアン 平成2年 70万円
これはいいと、出品者と連絡を取り合って、
状態の確認などを、おこなった。
幼稚園からも、購入の意志が出された。
車体は、神奈川県にあった。
父と娘の二人旅シリーズ「自動車日本列島mini縦断」
その後、しばらく、幼稚園の行事や、
こちらの対応で、放置されていた車体であるが、
ようやく、車内の整備が終わり、小規模ながら、
「移動図書館」が完成した。
今後は、棚の組み方を試行錯誤しながら、
本の出し入れがしやすく、
より多くの図書を載せて行くと思われる。
☆荷揚町小学校
長女 詩音が、4月から小学1年生になった。
2006年4月当時は、大分市城崎町の住人だったので、
大分市立荷揚町小学校へ、通うことになる。
彼女の様子を簡単に言うと、
「頭のてっぺんからつま先まで、心底、小学校が楽しい」みたいだ。
毎日毎日、学校に行くのが、楽しくて楽しくて、仕方ない様子。
うちの娘さんたちは、
カミサンの経営する、やまばと幼稚園に通っている(いた)。
自営の幼稚園なので、困ったことがあれば、職員室に行く、
そうすれば、ママがいる。
先生たちも、園児を差別をすることはないが、
多少「理事長先生の娘さん」という扱いが
無いわけでもないと感じる。
今回、詩音が、荷揚町小学校に入るということは、
生まれて初めて、親の居ない場所で、生活をするに等しい。
周囲も特別な扱いをしないし、
本人も、直面する壁は自分で、解決しなければならない。
また、よそ見したり、他のことに気を取られがちな性格だ、
登下校時、なんらかのトラブルや事故にあわないか。
カミサンと「大丈夫かしら?」と心配した。
なんだか、福岡の短大に合格したので、
一人暮らしを始める、ような感じだ。
入学当初は、下校時間になったら、
なんどか、校門まで迎えに行こうと思ったし、
実際、なんどか、様子が気になって、近所まで出かけたことがある、
ところが、根がフレンドリーな彼女だ。
下校時に、時間がかさなったお友達とにぎやかに帰っていた。
心配せずとも、大丈夫なのかな、
詩音なりに、自分の生活環境は構築出来るみたいだ。
下校途中、おしっこしたくなったら、
駆け込むクリーニング屋さんも、自分で開拓していた。
高学年のお兄さんお姉さんに比べると
まだまだちっちゃい、詩音は、
自走式ランドセルのような状態で、
毎日、学校に向かう日々の1学期も
あっという間に、終わり。
夏休みに入って、引っ越しがまっていた。
上春日町に引っ越すと、小学校区が変わるので、
西台小学校へ転校になる。
私は、2学期から、そうするものだと思っていた。
ところが、詩音は、このまま荷揚町小学校に通うという。
まず、私は「ダメだ」と言った。
私の幼少のころの記憶では、
下校後、近所の仲間たちと、遊ぶことが、
今の自分を作った、大切な経験であったことが多い。
校区外通学となると、そういう時間も出来ないし、
休日あさから、友達と遊びに出ることもできないだろう。
もう1つの反対理由、「送迎」が必要になってくる。
私もカミサンも、仕事の都合などで、
うまく下校時間に合わせられることを保証できない。
どちらかが任務を放棄して、送迎にあたらねばならない。
引っ越し後、おばあちゃんが滞在する予定だったし、
出るに出られない時に、お迎えはどうするんだ?
そういう、大人の理論で、反対した。
その解決案は、ひとりでバスに乗って、通学するという。
私は、荷揚町小学校継続反対を掲げた以上、
理由もナシに「じゃあイイよ」と転換はしたくない。
家族会議の結果、
「バスに乗って、一人で行き来が出来るようになったら」
という、荷揚継続の容認条件を、提示した。
夏休みの間、なんども、大分バスに乗って、
行き帰りの練習を重ねた。
最初は、同伴して乗っていたが、
時期をみて、単身乗車をこなし、
結果として、夏休みのプール教室に、
「勝手にいって、勝手に帰ってくる」ことを
成し遂げてしまった。
これでは、容認せざるを得ない。
8月下旬の登校日
「先生に、2学期も荷揚に来ます、と言ってもいいよ」
と、送り出した。
もう1つ心配事。
詩音は、大変、正義感の強い子だ。
順番の割り込みや、たばこのボイ捨てなど、
許せない。(私もそうだが)
私は、
「詩音ちゃん、あなたから注意された人が
まともな人とは限らないから、
自分を守るために、出来るだけ我慢してね」
と、それが心配だと話して聞かせた。
さて、2学期が始まった。
結局、あれこれやりくりして、送迎している。
つまり、一度もバスに乗ることが無く、2学期は終わった。
そうそう、荷揚町小学校は、
全校生徒196人(2006.12.24時点)だ。
1年生は、28人。
この規模だと、授業参観も、運動会も、
スペース的に余裕があって、大変心地よい。
2年生に、ルーカス・シャムスカ君がいる。
彼のパパ、ペリクレス・シャムスカ氏は、
サッカーJリーグ「大分トリニータ」の監督であり、
いまや県内外に限らず、時の人である。
もちろん、運動会には保護者として参加していた。
そして、荷揚町小学校の、多くの生徒の赤白帽子には
シャムスカ監督の直筆サインが、あるのだ。
なんだか、荷揚町小学校、いいじゃん。
と、思う私。
でも、卒業まで、このままなのは、いかがなモノかな。
☆2大巨星が逝く
いつか、その日が、来ることはわかっていた。
でも、それが今年2006であることは、わからなかった。
大分の地で、偉業を成した、二人の老夫婦が、
順序よく、次の世界へ旅立った。
この二人の長かった人生の中で、
ほんとうに最後の短い時間のなかで、
私を家族として迎え入れてくれて、
かわいがってもらった。
山崎正巳 2006年5月28日 享年88歳
山崎立子 2006年11月21日 享年84歳
私は、両名の事について、語れるほどのものはない。
そういう事は、他の方にお譲りして。
正巳・立子と接してきた中で、一番に感じるのが
「人として生きると言う事は、こういうことなのだろう」
と、思う。
まず、自分自身がしっかりと、自己を確立する。
そして、有形無形の足跡を残し、周囲を愛する。
個別の取り組みに、方法論で賛否が出たら、
きちんと正面から対応する。
決断には、勇気をもって、揺るがない。
「成す人はいつの世でも成す」
そう感じてしまう。
そして、確かに、この二人の存在は、
社会的にも大きな意味を持っていた。
なんだか、1000年女王みたいだな。
正巳・立子の世代交代が、雅治・佐和子か?
うーん、いまのところ、そんな気配なし。
自然の中で、生と死は、いつも無計画だとおもう。
うちの3人の姫たちは、出産予定日に生まれていない。
また、正巳・立子も、予定した日に逝ったわけではない。
※別に、予定日を決めていたわけではない。
しかし、天皇家の男子が、生まれた2006年、
彼は、出産前に誕生日が報道されていた。
これは、どうなんだろう.....。
☆お引っ越し
2005年末から、計画を進めていた、上春日町への引っ越し。
注文住宅で、設計士を立てての新築である。
当初、5月下旬には、完成予定で、
私のネットワークセンターも、そちらに移転を計画した。
・全室、収納(押し入れ・クローゼット)は無し
・廊下は、ストレーッチャーが回転できるよう幅180cm以上
・コンセントは、210cmの位置に
・分電盤は、1コンセント1回路で
・温水は、深夜電力系・ガス系と細かく分けて
・水道は、すべてセントラル浄水を採用
・老人・乳幼児のためのバリアフリー
などなど、せっかくなので、こちらの意向を盛り込んでもらった。
しかし、長雨かつ梅雨時期にかかり、完成はズレ込むばかり。
それと並行し、時間が経つにつれ、絵空事であった飲食業開業が、
なんだか、現実味を帯びてきて。
急に、新築の台所を、飲食業許可を取得できるように設計変更。
もともと、シンクなどは、世の奥様方がよろこぶような、
アイランドキッチンなどのシステムキッチンではなく、
嗜好の筋から、IHも不採用。
開業の気持ちが高まると、すぱっと行動開始。
さっそく設計図をもって、保健所へ相談に。
要点となるのは、衛生管理。
外界との遮断、出入り口での手洗い。
そして、掃除が容易な構造などがポイントである。
設計士・建築会社・設備会社、急な方向転換に、
「ええー!!」というところも、なきにしもあらずだった、
なぜなら、一般住宅に不似合いな台所が、建築許可になるのか?
専門家の間では、そういう心配が少しあったみたいだが、
なんとかして、設計変更に取り組んでもらった。
家族全員、新築の大きな目的であった「祖父祖母と同居」
を始めるのを楽しみにしていた。
「今年(2006)の大晦日は、にぎやかやな」、
そう言って、デジカメに撮ってきた進捗状況を
見て言った祖父が、5月28日、他界した。
祖父も、私たちも楽しみにしていた、新築だったが、
彼は、自らここに足を踏み入れることがなかった。
未完成ながら、正巳が、この家に帰ってきたのは、7月14日
それは、彼の四十九日の法要だった。
以後、細かな仕上げを経て、
2006年7月21日、ようやく完成した。
ちょうど、子供たちも夏休みに入り、
5人で、協力して、引っ越しの開始。
※プラス正巳の法要対応。
引っ越し屋に頼む方が、効率的だし、
費用的にも、結局安上がりと、判っていたが、
なんだか、勢いで、自分たちだけで、着手した。
幸い、ワンボックスワゴンが、あったし、
カレー屋開業のための、デリバリーバンがあったため、
城崎や立小野から、大小の荷物を運び込めた。
その間に、突然の設計変更で、仕上げてもらった、自慢の厨房について、
保健所の検査を受けて、晴れて「食品製造所」となった。
8月13日、ようやく人が住める状態になってきたので、
療養施設に居る立子おばあちゃんを、外泊にして、滞在してもらった。
私たちが考え抜いた、老人用の部屋や設備は、うーん50点というところか。
おばあちゃんには大きすぎ、広すぎな所もあって、最高点とは行かなかった。
おばあちゃんは、曾孫さんたちとおふろにはいったり、大笑いしながらご飯を食べて、
近所の散歩や、デパートへのお買い物などなど、楽しんでもらった。
また、台風も近づく中、みんなで花火を楽しんだ。
私は、祖父正巳も居る、この状況を楽しみにしていたのだが.....。
荷物の運び込みと併せて、棚の準備なども、繰り返す。
日々の衣食住をこなし、城崎とホームワイドを何度も往復をしながら、
あっという間に8月も終わった。
ようやく、ペースがつかめてきた9月。
私は、カレー屋を開業した。
☆嫌われ松子の一生
「嫌われ松子の一生」
そういう小説があるらしい、
そういう映画があるらしい、
そういうTVドラマがあるらしい。
女優 内山理名さんが、TV版主役の松子を
好演しているという話は、どこぞの芸能ページでみた。
その程度の認識だった。
あるとき、福岡のネット製作会社の知人から連絡が入る。
ホームページ製作を、ご一緒したことがある。
「馬場さん、嫌われ松子、見てます?」
「はい?、や、見てません」
「実は、あのTVドラマの影響でね」
彼の話を要約すると、
松子が、風俗嬢だった時代の放送回のあと、
内山理名さんが「美麗なソープ嬢」だったので、
風俗への就職を考える女の子が増えたらしい。
で、風俗の就職サイトの拡充を企画したとのこと。
「で、馬場さんって別府の近くですよね」
「はあ、車でちょいちょいですが、何をしろと?」
「店はこちらで段取りますから、話聞きに行って下さい」
「僕がですか?、製作される人がいったらイイじゃないですか」
「やー、今回、予算無くて、話だけなんですよ」
「てことは、グルメ番組で試食ナシ、ですか?」
「そうなんです」
「えー、そんなー、つまんねー」
「だから、こっちも交通費使ってまで、誰も行きたがらなくて」
「で、僕ですか?」
「車でちょいちょいでしょ?」
「・・・・・」
後日、インタビューに応じてくれる、お店をきいて、
秋空のお昼時、別府の歓楽街に、赴いた。
別府は、12時から営業している店も多いので、
目的地に向かう途中、何人かの客引きにであう。
別にやましいところは、ないのだが、
どうみても「昼真っから風俗お遊び」に見えるし、
ご縁のある空調会社は、ここいらの保守で入っているから
ばったり出会うことも、あるかもしれず。
なんだか、荷の重い仕事だなー。
お店に入って、店長にご挨拶すると、段取りができているのか、
すぐさま、ひとりのコンパニオンさんが出てきてくれた。
今回のインタビューは、就職サイトに掲載する、
「私がこの会社を決めた理由」的な部分に使用するらしい。
安雑誌にありがちな、ライターが想像で書いても
済むようなことかもしれないが、企画者の意向で、
「生の声」を載せたいとのことだ。
・就職の動機
・この会社を選んだ理由
・就職時にわからなくて困ったこと
などなど。
彼女の話の中で、印象に残るのが
「介護士となにもかわらないです」
身体洗って上げたり、
マッサージして上げたり、
たしかに、変わらないか......。
そして、彼女は、自信と誇りをもって、
日々、男性のストレスを洗い流し、
欲望希望を叶える、この仕事をしている。
世間様では、風俗は影のイメージも残るようだが、
考えようによっては、これもアリかもしれない。
うちの娘が、介護士になって
「身体洗って上げたら、喜ばれた」
と聞くと、私も立派な事だと思うだろう。
では、
うちの娘が、ソープ嬢になって
「身体洗って上げたら、喜ばれた」
と聞くと、さー、どう思うかなー。
やはり、「立派な事」と思うだろうなー。
自分のカレー屋と比較して、考えた。
カレー屋、製造途中でたくさんの廃棄物をだして、
販売時も、器や袋など、ゴミがでる。
自然界に対して、悪いことをしているじゃないか。
うーん、製造業は、ダメかなー。
そんな、ちょっとした時間に得たネタで、
あれこれ、考えさせたれた。
なんだか、風俗もいいじゃないか、と思った。
※開業の予定はありません。わはは
帰り際
「サービスしますから、次回は、ぜひ、お客様で」
と、いって、見送ってくれた。
※次回があったのか?
やー、でも、金払って、客で行くなら
中州か吉原の高級店がいいな。
そう思いながら歩いていると、出がけに寄ってきた客引きから
「お疲れ様でした、次回は、うちにどうぞ」と見送られる。
あー、きっと遊んできたと思われてるな。
せっかく、ここいらに来たので、商店街に向かい、
ヒレカツカレーで有名な「なつめ」に立ち寄って、
「食欲」だけ、満たして、別府を後にした。
☆カレーワゴンNo2mas
突然、カレー屋を始めた。
それも、お店ではなく、車で売り歩く移動販売で。
なぜ?
なぜ??
なぜ???
と、聞かれることも多いのだが、私にとっては自然な流れ。
数多く、自分の抱いている興味の対象の1つに、飲食事業があった。
そこに、2005年から2006年にかけて、自分の周囲で、
技術を身につけ、環境が整い、やる気の周波が合っただけである。
1994年夏、
当時、OCT(現大分ケーブルテレコム)の制作責任者であった大島三明氏に、
「なんか放送すんネタがあんのなら、作っち流しちいいど」と、話を頂いた。
もしかすると、大島氏は冗談だったのかもしれないが、私は本気にした。
「自分でTV番組作るなんて、なんてステキな話だろう」
そこで、TV番組を、自分だけで本当に始められるのか、思案した。
資本があっての事ではないから、低コストで、実現させねばならず。
映像機器・編集機器、そして放送内容の企画など。
大分美術研究所 二宮圭一氏とのご縁で、放送内容は、
「現代美術作家のドキュメンタリー」に決定。
映像機器は、民生用ハイエンドという商品が出てきつつあった時期、
SONY Hi8 3CCDビデオカメラ
編集機器は、ようやくコンピュータ編集の「素人マニア用」が
普及しつつあったときで、それらをそろえた。
※DeskStudio のち Media100
準備と並行して、二宮氏と、福岡まで現代美術展の取材に赴いた。
そして、突然、1994年11月21日 0:00
「NEWAGEARTCUT」が始まった。
同番組は、2000年3月31日までの、5年半続いた。
なので、飲食開業も、突然ではあるが、もともと持っていた興味が、
実現に向けて、動いただけだ。
それは、昨年の大型免許取得も、同じ事である。
2006年8月下旬、友人・身内へのテスト販売を終えて
本当に営業を始めた、2006年9月9日から、
4ヶ月が経って、朝の出店準備も慣れて効率よくなってきた。
いくつかのメディアでも、取り扱ってもらった。
・車はかわいい
・パッケージもステキ
・カレーは、おいしい(自薦他薦)
残るは、「店長のヤル気」だけの状態。
でも、店長さんは、以外と、ルーチンワークを文句言わずに、
淡々と続ける才能もあったりで。
ひとまずは、四季を体験してから、次の展開を考えるつもり。
☆その他
・頸椎のヘルニア
2月くらいに、右腕がしびれたり、指先が動かしづらかったりした。
以前、開業医の整形外科に、いったら、
流行の(利益率の高い)星状神経ブロック注射をされただけで、
なにも進展がなかったので、総合病院に行った。
————————————————
1991年3月10日、
電柱に衝突して、大事故を起こし、
そこで、運び込まれた先が、大分中村病院。
————————————————
それが、縁というわけではないが、今回も中村病院。
そこで、MRI映像から、頸椎5・6番に、ヘルニア発見。
腕の神経への分岐点を圧迫しているらしい。
なので、しびれの原因は、これだろう、ということに。
切除するまでの事態ではないが、
この先の人生にも付随してくる要件であることはたしか。
・葬儀
今年は、主催の葬儀に2回参加した。
北九州から、大分に来た私は、
親戚がこちらにいるわけでもなく、
火葬までお付き合いする葬儀は、初めてだ。
なので、知らぬ慣習?も、多かった。
通夜あけて、昼食時、
あちらこちらで、主催者側が、
協力者たちに、声をかけている。
「おとき、なおってください」
なんじゃ?、それ?
つまりは、葬儀手伝いの人たち用に
準備された昼食を、食べて下さい。
ということなのだ。
ちなみに、おときは、葬儀中に供される食事の総称のようで、
「お斎(おとき)」と書くらしい。
なので、手伝いの昼食という意味ではないようだ。
その昔、仏教僧侶の、その時間だけに許された食事を、時食と呼んだらしい。
それが、斎(とき)食となったのでは、と言われている。
・カレンダー
2006年2月、やまばと幼稚園の作品展に、関連して、
「今井 アン」作品展を並催した。
その際に販売されていたカレンダーを、
私のこれまで出会ってきた知人友人に、
約200名ほど、発送した。
もちろん、最新の住所がメインテナンス出来てない人もいて、
宛先不明で返ってきた人もいるが、多くの方から返事を頂いた。
意外と、みな、自分の事を覚えているものだと、感心した次第。
・弱ってきた
なんだか、2006年は、手に弱気を感じてきた。
まあ、商業ピアニストでは無いので、
敏感な動きを制されても、なんとかなるであろうけど。
IT屋として、「涼しげなキーボードタッチ」が出来なくなると
思考も、暑苦しくなってしまった、なんだかめんどくさい。
せっかく始まった飲食業も、花板の包丁さばきは、ないけど、
4キロの肉をきったり、猛火の中でカレーを仕込むには、
健康な手でありたい。
カレー屋で、お釣りをもらうお客さんも、イヤだろうし。
そんな事から、将来の事まで考えてしまう。
なにげ、近親者の前では「実はねー」と、弱含み。
イカンですな、弱キャラでないので、しっかりいきましょう。
2007年は、強く行くだ!!
☆2007年のキーワード
今年のキーワードは2つ
・飲食業
・40歳
・飲食業
突然始まった、飲食業。
意外と、反応はよろしい。
これまでのIT家業と同じく、自分が好きなモノを提供している。
私的に言うと、
「これは、うまいと自信あり」
となる。
とはいえ、IT屋として、多くの経営支援をしてきた経験から、
「良い商品が売れる訳ではない現象」も理解できるし、
きっかけは、別の次元であったりする事も、よくわかる。
2007年は、カレーワゴンを通じて、
ありとあらゆる商品戦略・流通計画を、実現させていこうと思っている。
・40歳
2007年10月15日
40歳になる。
同級生に、プロ野球「清原」も、同世代。
最近、なんだか、彼が好きだ。(お会いしたことはないけど)
佐々木と愚痴って飲んでいるTV番組で、偶然鉢合わせの
王貞治には、やはり頭が上がらない所をみて、
なんだか親近感を感じた。
30代、なにをしてきたかな?
なんどか、決断を迫られた事があった。
そのたび、助けられて、なんとかやってきた10年かな。
40代の10年は「好き勝手」にやっていきたいな。
なんて、思う。
とある、企業グループの件
書面手続き上は、整理ついたのだけど、
気がかりもあるし、私の周囲(知人友人)は、
そうは思っていない所もあって。
また、決断の一年かも。