2012年に向けて

☆はじめに

毎年、年初、
前年の反省と、新年の抱負を、年賀状代わりに紹介しております。

出来事の感想は、私の率直な思いを記してあります。

中には、世論の意向と反する表現もあるかもしれません。

また、特定の個人を名指し、もしくは推測可能な記載もありますが、
特別な意図を含ませているわけはありません。

2011年に直面した事実に対し、
賛否・喜怒哀楽を、一杯詰め込んでおります。

お楽しみ下さい。

なお、認証された方だけが閲覧できるホームページなっております。

第3者への転送や開示は、一切、おやめ下さい。

 

☆2011年 80点

2011年のキーワードは、

・過去の整理
・戦闘準備

と、定めた。

さて、結果。

・過去の整理

別にうしろめたい過去はないのだが、
気がかりは、いくつかあった。

中でも、やはり、山崎を冠する立場上の案件は
「いずれかそうなる」と予想していた結果に至り、
複雑な思いを抱いた。

これは「整理」とは言えないかも知れないが、
「区切り」ではあっただろう。

さて、
所有物を放棄する整理法が話題だった2011年だが、

以前より、私の整理法には「完全撤収」が多い。

稼働する機器は、しかるべき場所に譲るなどの処分、
引き取り手の無いモノは、廃棄とする。

2011年も、いくつかの分野で実施をしたのだが、
まだまだ膨大な所有物がある。

今のところの整理状態では、
「起きて半畳寝て一畳」という空間ではないな。

気持ちは、シンプルに生きているつもりなんだけどなー。

・戦闘準備

特に、戦が控えているわけでも無いし、
想定された敵が居るわけでも無いから、

戦闘準備というのもおかしな話だが、

「有事に備える」という意味で、2011年の目標とした。

そして、東北の災害を目の当たりにし、「敵の1つ」が見えた気がする。

何年も前から、災害対応は心がけて情報収集を続けていたし、
私の無駄遣いも、決して、これを無視した話ではない。

後付けの言い訳にきこえるかも知れないが、
カレーワゴンも、災害時の運行が可能なように装備されている。

「災害という敵」に向け具体的に手がけた戦闘準備であるが、
大きく進めたのが、避難用品の準備である。
※詳細は非公開

「生き残るためには」というテーマを掲げることが、
決して、失笑を買うような事ではないと強く感じている。

一方、目の前で発生した課題に対応するのも、
その都度、戦闘準備が必要だった。

2011年は、
親族所有の株式会社を当時の経営者から取り戻すという大役に挑み、
大きな損害を見ずに、ほぼ完了した。

これも、自分が独立開業時代から続けてきた法人運営の知識習得と、
諸事情に応じた手続きノウハウの実践が功を奏したと感じている。

もちろん、改めて学んだ事もたくさんある。

以上の事から、目標であった、

・過去の整理
・戦闘準備

は、順調に果たせたと評価したい。

さて、結果の、80点は、昨年の84点より若干低下した。

しかしながら、前年比から低下を気にする必要は無い。

様々な取り組みをこなしてきた1年の中でみると、
該当目標の達成に高得点を与えられたとしても、
日々の生活の中で、悪いことも失敗もあるわけで、
総合点としては、80点が適切である。

2011年は、
好きな数字「4」の並び、44歳になった。

でも、
「日の出を制する」には、未だ至らず・・・・・

 

☆家の隣が火事だ

夕食も終わり、我が家の住人のそれぞれが自室に散っていった夜。

私は、サーバ室で、いつものように過ごしていた。

2011年1月20日0時から、
任天堂3DSの予約開始だった。

その前夜にあたる。

別に買う予定もなかったが、混雑具合に乗っかろうかと考えていた。

22時近くだったと思う。

壁の外は、カレーワゴンの駐車場。

なにやら、パンパンと、乾いた音がする。

「うーん、バケツかPETが転がってるか?」
と、部屋の扉をあげて、駐車場をのぞき込んだ。

すると、黄色いカレーワゴンが、オレンジ色に光っていた。

「なんだ、公園の照明?」(であるはずもない方向からの光だ)

光源の方向へ目をやると、義母の住む別棟。

そこが、メラメラと、オレンジ色が揺らいでいた。

「これは、火事だ・・・・・」

すぐさま、佐和子(かみさん)に叫ぶ。

「おーい、火事だ、まずは消防か、電話して」

佐和子がTELすると、もう通報は行ってるみたい。

私は、義母の様子を見に、外に出る。

すると、火元は、義母別宅ではなく、その隣のS氏宅。

義母を、我が家に避難するようにして、一安心、
というところだが、もちろん隣接建築なので、
延焼が心配される。

義母や佐和子は、義母宅から貴重品の持ち出しを試みるが、
普段から、そういった整理をしていない為、慌てるばかり。

私は、敷地から通りに出てみると、もうすでに人だかり。

火元宅前にいくと、ご家族が水道ホースで水をかけている、
そして、まだ高齢者が中に残されていると叫んでいる。

ただ、もう、その段階で、素人の手に負える火ではなかった。

ほどなく、消防車が到着し、地元の消防団も集まってきた。

我が家敷地からの消防活動が有効だと判断し、
ホースを庭に引き込んで、消火活動が進む。

それと同時に、新聞社の記者が入り込んできた。

とっつかまえて「不法侵入だ」と名刺を提出させ、追い出す。
※記者は、なぜか特権意識をもっているから不思議だ。

我が家周辺は、消防隊によって進入禁止となってしまう。
心配して駆けつけてくれた方々も、近寄ることが出来ず、
境界線や屏越しに、こちらの無事を伝える。

火は強くなっていくが、こちらが風上となって、
居住区の無い運動降園側に流れていった。

もし、風向きが逆だったら義母宅は延焼していただろう。

続く消火活動に守られながら、明けて午前2時くらいにようやく鎮火。

出火家屋内部に消防隊が入り込んで、状況を確認しながらの作業となった。

見物人も、飽きてきて、少なくなっていく。

3時に、警察がきて、助からなかった方の状況を調査する。

火も収まり、伸びるホースも少なくなってきた。

消防隊などが引き揚げて、いつもの上春日に戻ったのが、午前4時だった。

その後も、地元消防団は、再火災を懸念して、不休の番を続けてくれた。

夜が明けて、お昼前。

警察が現場検証に来ていたが、我が家に屋外監視カメラがあることを見つけ、
出火時の様子が映ってないか映像をもらえないか、と交渉に来た。

以前にも、ローソンの強盗事件の時、活躍した監視カメラである。

レコーダーを確認したが、これといってのネタはない。

ただ、屋外まで火が出だした瞬間は捉えていた。

それをもって出荷時刻の証明ができるらしく、
DVDにコピーして差し上げる。

結論から言うと、S氏宅のおじいちゃんが遺体で見つかった。

原因は、おじいちゃんの寝タバコではないか?との事。

さて、現在、その場所は、がれきも撤去され、更地になっている。

隣接地であるため、どうなるのか興味があるが、

さすがに、私たちで買い取る選択肢は、無さそう.....。

 

☆自動車にまつわるアレコレ

私は、他を犠牲にしてでも、

それを維持したいブランドがある。

車が、そうである。

私と長年の付き合いの方は、ご存じのように、
一貫して、BMWブランドである。

そういうと、金銭的に潤沢で、
歴代のBMW車を乗り継いでいる様にきこえるが、
実際は、一台を20数年乗り続けているのである。

しかし、2011年初夏、とうとうエアコンが効かなくなった。

私の車は、メーカーディーラーでも敬遠されがちなクラッシックカー的な存在。

そんな旧車を面倒見て貰っている、ラウダダ九州の岩崎社長(通称:たっちゃん)。
※小学校からの友人である。

どんなトラブルを持ち込んでも、いいよ、と対応してくれるのだが、
今回ばかりは、さすがに、No。

たっちゃんも、プロであるから、現実的な解を提示する。

平成2年の車体は、時代的にリサイクルプラスチックが出回った時期。

20年を経て、紫外線に弱かったとか、耐久性が低かった、とか。
今になって症状が顕著になってきたシロモノだ。

その脆弱なプラスチックでできた車体であるから、
問題箇所の修理のため、ネジを外すと、その受けとなるネジ穴が破損する。

次に閉めたときに、粉々に砕け散ってしまう。

ピラミッド映画で、ミイラの頭蓋骨が粉々になる感じなのだ。

つまり、この先、修理を進めると、修理箇所が増えていく算段だ。

またその為の古い補修品を探し、交換していく、また壊れる、また探す、また換える。

終わりの無い話である。

たっちゃんの結論として「No」、そういうわけだ。

だが、私は、E34という、BMW525のモデルに、特別の愛着があり、
おいそれと、「じゃ、新車に換えるわぁ」とは、言えない。
※経済的理由も、大きい。

そこで、たっちゃんの調査網を駆使して、健康なE34を探す。

もちろん、中古しかない。

我が家には、早急に導入を決めねばならない理由が存在した。

私の家は、かみさんも、BMW525 E34がお気に入り。
共に、同じ年式。

車庫には、同じモデルの色違いが並んでいる不思議な家だ。

さすがに、両車共ヘタレ状態で、健康な車両が無いのである。

毎月、必ず福岡まで走る用件もあることから、
長距離走行に耐えられる車体は不可欠なのであった。

そう、5月の終わりくらい、
この福岡用件で、移動中にも、かみさんおE34が完全停止というトラブルにあう。

だから、新規導入は、待ったなし。

数日もせず、たっちゃんから、

「E34の中古が出てるみたいよ」と連絡アリ。

東京のハイエンド中古車ショップだ。

同社のホームページに情報が出ている。

また、同社のブログには、
「奇跡の・・・」と紹介されていた。

ページをみると、まさに、私が希望しているE34である。

どうやら、複数台のBMWを所有しているオーナーさんが、
売却したモノらしい。

平成6年  走行 約15000キロ

さっそく、商談を進めることにする。

また、技術的な確認は、たっちゃんとショップ担当者の間で話してもらった。

悩んでいる場合では無いので、大きな問題がないと分かった段階で、
購入を決意し、話を進めていったのである。

奇跡のE34

中古の車体、どんなもんだろう?

現車を見ずに購入するのは、いかがなものかと意見もある。

私自身、中古販売社の担当さんと、じっくり電話で話をした。
互いに、車に愛を感じる人だと確信しての事だ。

多少のドキドキ感は否めないが、車を愛する人達の協力の元に
やってくる車体だから、そう大きく外れた事態にはならないだろう。

自分の決断と、関係者の愛を信じて待つことにした。

して、注文から、2週間もせずに、東京から大分に到着。

たっちゃんのところで、車検手続きを済ませ、いよいよ引き渡し。

予定の日時に、たっちゃんの工場にいったら、ぴっかぴかの車体が。

なんだか、20年前にタイムスリップしたみたい。

さらにいうなら、車内は新車のにおいがする。

※逆に不気味・・・・ははは

ざくっとした感想を言うと、
走行距離が短いので、エンジンの鍛え方が、ちと足らないかな。

ミッションのつながりとか、ブレーキフィールとか。

何にせよ、いまから、新しい関係を築いていくって事で。

ちなみに、写真後部が、前車。

前車は2012年3月末まで、このままの予定。

車検も切れたし、ナンバーは、一度返還かなー。

車受難の2011年

トドメは、走行中のバースト。

12月21日、
子供らのクリスマスプレゼントの交渉目的で、

馬場実家ジジババ宅へ向かう、走行中の大分自動車道。

大分ICを通過し、本線を走り出してまもなく、
左後部に、微細な振動が感じる。

無線のアンテナが、風でびびってるのかな?

ところが、次第に、振動と騒音が大きくなる。

「あらー、これは何か異常事態」

といっても、次のICまでしばらくある中間地点。

自動車道を脱出せねば、どうしようもないから、
左走行車線に移動し、少しペースを落とす。

すると、

「ボボボ!」と、いうショックのあと、
なんだか、左後部が少し下がった感じ。

そして、今までに無い、振動が車内を包む。

「あらら」

200m位先に、避難場所が見えたので、
そこに停車して、車外をチェック。

「ほほー、これはこれは」

左後タイヤが、バリンバリンに裂けていた。

まあ、文句言ってもしょうが無いので、タイヤ交換。

三角表示板を出して、ジャッキやら交換タイヤを出して、作業開始。

イマドキの若い人は、タイヤ交換なんてするのかなー?
なんて、思いながら、チャッチャと交換完了。

そういえば、SMARTは、交換できない感じだったなー。
と、思い出す。

次週に福岡長距離が控えていたので、即日、ラウダダ九州 たっちゃんの所へ。

「こりゃー、みたことないなー、レースでもないなー」
と、ラウダダの常連さんたちと、大笑い。

事故もなく、よかったというところだが、

タイヤは、BSレグノ指定という私。

255/40/17の価格に、事の大きさを噛みしめる。

2012年は、自動車にまつわる経費が削減できるといいなー。

 

☆阿蘇山に行った

昨年の、Mas箱で、

阿蘇カルデラを見たいと、懇願していた。

で、2011年1月10日に行ってきた。

折しも、九州は積雪に見舞われた、その日。

朝から、ライブカメラや、現地リアルタイム情報を見て、
出発の可能性を、ギリギリまで精査。

うちは、冬期、所有車両の1台にスタッドレスタイヤを装備しており、
そこそこの積雪であるなら、対応可能である。

大分自動車道=>九重IC=>小国町

そして、大観望へと進んだ。

広大なロケーション、のはずが白一色。

踏みしめた足跡が、すぐさま形のまま硬化する厳寒に5人で挑む。

凍えながら展望台までいくと.......Wow!!

切望していた、阿蘇カルデラを一望。

直径20Km、地球史上第3位と言われる巨大な噴火の名残りが、
見渡す限り、両手一杯に広がっている。

凍えはしたモノの、ひとまずは目的達成。

その後、カドリードミニオンで、クマを眺め、
みやざわ劇場のぱんくんのショーを観覧。

私らは危険を承知の上、阿蘇火口・草千里へと進む。

だが、その時間から急激な温度低下と、吹雪が始まった。

登山口料金所で、この先は大丈夫か聞くと、
火山ガスの制限はあるが、火口までいけるらしい。

なので、行く。

駐車場から火口まで、大分市では体験出来ないほどの積雪。

だが、さすが観光地、沿道はきっちり整備されていた。

火口を望むエリアに到着すると、底は、霧があって見づらかった。

また、ガスが出ているらしく、異臭が鼻につく。

雪を踏みしめたりしてると、一瞬、火口の霧が晴れて、ちょっとだけ底を見た。

ともかく、ただ寒いだけなので、そうそうに下山し、草千里へ。

草千里も、暖かな季節なら、すばらしい場所である。

たかなピラフでも頂きながら、景色を望みたい所だ。

どうやら、2010年に、アニメさざえさんのスペシャルだったか、
さざえさん一家が九州旅行に行くという放送回の中
草千里で遊んだという内容があったらしく、
子供らの言うには、緑広がる草原を馬で走っていたとのこと。

もちろん、夏で晴れていれば、その通りなのだが、
2〜3m離れれば、見失う状態。

簡単に言えば、猛吹雪。

それでも、私らは草原に降り立ち、雪合戦などを楽しんだ。

女子4人は、自前のスキーウェアを持っているので寒くないが、
私は、大分市内の格好で来ているため、ちと?寒い。

まあ、せっかくの機会なので、
白(吹雪はグレーかな?)の世界で遊び回る。

私は、阿蘇カルデラの偉大さを、感じて欲しかったのだが、
「寒さと雪合戦」という、九州ではなさそうなキーワードを
彼女らは、記憶の奥深くに刻んだ。

ははは

今度は、灼熱の夏に、ぜひ、再トライ。

阿蘇カルデラを希望2011

 

☆生と死

・故米田雄二氏

2011年、一番大きな事件は、

私が開講していたIT塾の一番弟子の死。

そのIT塾は、2001年5月に募集を開始し、
同年、6月から開講した「BBブランチ」

米田氏は、物事に対する姿勢とその人柄をベースに、

一般的には、エリートと呼ばれるであろう経歴を積み重ねてきた。

しかし、人生の意義を見つめ直した時に、
BBブランチの募集広告を目にして、応募してきたのだった。

鹿児島生まれで、雄々しい感じの風貌に反して、
繊細で心くぼりを尽くした人柄に、
旺盛な好奇心が前進力を生み、塾でも主席であった。

卒業後も、BBブランチ関連会社で、システム構築に手腕を発揮し、
多くの作品を生み出してきた。

ところが、2009年、膀胱に異変があるとして、入院。

そのデキモノは、現代医学の手法により、封じ込められた。

翌2010年5月、完治だと、焼き鳥屋で乾杯をした。

しかし、その8月、緊急入院。

そのまま「膀胱がん」の治療に入る。

「年は越せない」と宣言を受け、心が凍る。

しかし、彼は、12月初旬、退院帰宅を果たし、
越せないはずの正月を家族と過ごした。

今後は、通院にシフトする。

「入院の方が順番待ちが無くて楽なんですけどね−」と笑った。

2011年明け、メールの応答が無い。

聞けば、再び入院だと、病室に駆けつける。

前年から、高度治療の影響が外観に現れていたが、その瞳は、彼そのもの。

4月に入り、桜の季節。

「花見がしたいですね」と、私に言った。

そのころ、治療の方法を変えたらしく、
また、長期戦に備えた覚悟が出来たのか、
おだやかな日が続いた。

面談時は、座って、身振り手振りで会話が出来るほど元気になった。
もしかして、奇跡が近づいているのではないかと、私は思った。

4月26日の面会

病室は、部屋の移動があって、バタついていた。

ご家族が、状況を話してくれて、ほんの少し寝顔を見た。
部屋には、機器が増えており、その意味を解さない訳がない。

それが、私にとって、面会の最後。

その後も、週に一度、訪問を続けたが、
「いつでも会えるから」と信じて、面会はせず。

そして

5月10日 訃報

葬儀は、奥様によって、執り行われた。

「死は当たり前のこと」
だと、私は、思っている。

なので、その死の前後について、あれこれ言う事はしない。

ただ、これまで見送った人について、忘れることはない。

米田雄二さんの事も、忘れない。

なお、彼の逝った、5月10日

奇しくも、彼が、BBブランチに願書を出した日であり、
ちょうど、10年の時間が、そこにあった。

私のメールソフト、BBブランチのフォルダには、
歴代卒業生全てのメールが今でも残っている。

=========================
差出人: GEC02350@nifty.ne.jp
件名: BeBe-Brunch(ビービーブランチ)入学願書
日時: 2001年5月10日 9:26:50 JST
宛先: bbb@ile-tec.co.jp

┌──────────────────────────────────────┐
│ BeBe-Brunch(ビービーブランチ)入学願書 │
└──────────────────────────────────────┘

氏  名: 米田雄二
し め い: よねだゆうじ

生年月日: 昭和35年4月2日



以下略
=========================

米田さんの闘病生活を、毎週1回の訪問を欠かさず続け、見つめてきた。

そこに喜怒哀楽が、存在した。

些細な事に満面の笑みを見せてくれたこともある。
ちょっとした言葉尻に激怒したこともあった。

死を迎えることについて、

・余命を歩く死

・突然死

の2つに別れるとするなら、

私は、どちらを望むだろうか?

米田さんの闘病生活は、
時間の許しを得て、それまでの人生で得た事を
再確認する事が出来たと感じている。

学生時代・鹿児島県庁時代
多くの人が、見舞いに訪れたと聞いた。

そして、突然死とは違う形で、
家族との時間を味わえたと思われる。

当人にとって、死は、残念な事なのだろうか?

むしろ、周囲の納得が判断するのでは無いかと思う。

私は、実母を10歳の時に亡くしたが、
母は療養のため、他県で離れて生活をしていた。

なかなか会えない生活をしていた先の訃報。

私の納得は「なかなか会えないまま」今に至る、
に過ぎず、生か死か、問題ではない。

山崎の亡祖父母も、いまだに、そこに居るように家族で話題にのぼる。

死は、周囲が、どう受け止め、
この先、どうするかという想像力の作用だと思う。

1つ、死を悲しむべき現象だと理由付けするなら

どんなに望んでも「絶対に」再会は出来ないこと。

それは、残念な事である。

自分の死期は、判らないのが通説。

可能なら、もうしばらく、私の死の予定は無しでお願いしたい。

歯科矯正が終わってキレイになった3人の娘を見てみたいので......。

 

☆ダイビングを始める

2011年、ダイビングライセンスにチャレンジ。

ことのキッカケは、

お付き合いのあるシステム屋が、クーポンサイトの運営を始めて、

なにか、購入してみるか、と物色したところ、

居酒屋の割引などが掲載中、しかし飲み歩かないので、ナシ。

英会話も、エステも関係なし。

で、当時、募集中だった、ダイビングスクールにした。

もう1つの理由は、
ITの仕事で、旅行アクティビティサイトの仕事に関係した。

当然、ダイビングツアーも商品として取り扱っている。

システムの検証に、商品のクオリティーチェックも手法に含まれ、
なんらかの機会に、ダイビング商品の検証に役立てれば、
そんな事も、後押しの1つである。

クーポンサイトからの申し込み後、

ほどなく、メールで今後の進め方の説明を受け取り、
さっそく、ダイビングショップにて、受講の予約をした。

PADIダイビングショップ「Dive−ONE」
石井 完 先生

まずは、教材の受け取りなどで、いらっしゃいと言われる。

初訪問したのが、3月11日の午前中。

カリキュラムの進め方や、教材の説明・各種同意書などにサインをする。

座学は、DVDで自宅学習となるため、次回ショップ訪問時は、
実習がメインとなる。

なにぶん、お外の活動や太陽の下が苦手な私。

うまく行くだろうか?と、不安を抱きながら、帰宅。

さっそく、DVDを見ながら、教本の設問に記述を進める。

15時ちょっと前だったか、
ふと、PC画面をみると、急激な円高を示していた。

その動きは、「核ミサイルによる戦争開始」レベルと感じた。

「なにが起こった?」と、金融ニュースや新聞社サイトを開く。
TVを付けると、東北地方で巨大な地震があったというではないか。

地形的に、すぐさま九州に影響はないと考えたが、
DVDは、そのままに姫たちの居場所の確認を開始する。

その瞬間から、日本が違う方向へ、大きく動き始めたのだった。

大地震の事で、なにもかもが吹っ飛んでしまった感じを受けた。

しかし、影響の少なかった九州・大分では、いつも通りの日々が流れる。

石井先生によると、別府湾は通常と変わらないので、ショップ運営も変わらず。

よって予約通り訪問し、座学と知識テストをパス。

3月18日、いよいよドライスーツをつけての入水。

しかし、状況は意外な展開に?!

私、副鼻腔炎持ちなので、鼻呼吸と口呼吸のバランスが微妙。

ダイビングは、鼻呼吸をしないわけだが、
耳抜きやレンズクリアなど、鼻の出番がある。

どうやら、鼻の症状に対して何もせずスキューバ器材を使うと、
多少の問題があるような気がした。

気のせいかも知れないが、無理をして死んでも困るので、

残念ながら、石井先生に、残る水中カリキュラムの続行を中止にしてもらう。

さぼってきた耳鼻科に赴き、いつもの症状緩和剤をもらってくる。

そうして、1週間ほど、身体作りをして、再挑戦。

2日間にわたって、水中カリキュラムを終え、無事、ライセンスを取得。

さあ、これから、ぼつぼつ、潜ってみるか?

と、思っていた矢先、

GWは、ダンススタジオ永田組の任務に
アフリカンサファリのカレーワゴン出店があって、
さらに小学校の運動会や、ある会社の株主総会対応などが続く。

あっという間に夏が来てしまった感じ。

はあ…..、なかなかファンダイビングに移行できぬまま

※写真は、EFRの講習に参加したダミーボディたち

春に受けたライセンスは、

・スクーバダイバー、と言う

これは、PADIインストラクター同行必須という限定付き。

一般的なダイビングライセンスは、

・オープンウォーター

というライセンスを取得する。

Dive−Oneでは、

最初の受講から差額のみでアップグレードできるキャンペーンを実施していた。

なので、オープンウォーターに挑戦。

それと同時に、

災害マニアの私は、救命救急のカリキュラムに興味を持つ。

PADIでは、水中事故にかぎらない、
一般生活の救命救急法のカリキュラムを行っている。
※レスキューダイバーより上のライセンスでは必須

・EFR
と呼ばれるカリキュラムも、オープンウォーターと同時に受講する。

もし、このEFRカリキュラムが良いモノであるなら、
やまばと幼稚園にも受講をしてもらおうと考え、
まずは、私がやってみることに。

9月初秋、オープンウォーターとEFRを続けて受講。

春ような鼻のトラブルもなくて順調にパス。

でも、結局、それ以後、水に入ることないまま・・・・・

一方、EFRは、良いモノだと判断し、

やまばと幼稚園では、
担任教員・事務職・バス運転担当まで全員が受講した。

事の大小はあるけども、その後の園内行事では、
この受講が成果を見せた場面もあった。

さて、2012年

少しは、水に入ってみようか。

 

☆カレーワゴン、大進出

2011年8月に、開業5周年を迎えた。

初の営業許可証更新をした。

この5年間、多くの方と出会い、
また、賛否は別にして、私の提供する商品を手にして頂いた。

でも、未だ、試行錯誤。

2011年の大きな出来事と言うと、

・アフリカンサファリに出店

が、一番大きい。

数年前から、同園幹部とのご縁で、お話をさせて貰っていた。

なんどか、具体的な話を持ち込んで、「テスト的」に出店をする事に。

2011年ゴールデンウィーク全日に出店せよとの事だったが、
あいにく、後藤智江モンダンダンスの手伝いがあって、

GW後半のみの出店となった。

アフリカンサファリは、動物のオリに車で入り、
間近に見ることができる動物園である。

通常平日は、静かなモノだが、GWやお盆シーズンは、
一日に、1万人を超える入場があり、サファリバスも5時間待ちという規模。

カレーワゴンも、さぞかし大賑わいだろうと、
1000食を超える準備をして望んだ。

上春日の製造所は、食材や完成品の山となる。

そして、
第1日目の5月3日 朝5時到着で、現地入り。

朝6時前には、入場者が列を作って並んでいるのである。

なので、業者は、それ前に入らないと、動けなくなってしまう。

サファリバスのバス停前というすばらしい場所をもらって、
カレーワゴンは、そこに位置した。

商品は、「かれぽっけ」

同園始まって以来、初ではないかと言われる移動販売車
それも本社決済の基本契約締結までする異例出店である。

して、開園時間。

外は薄暗いが、続々と、車が入ってくるし、
サファリバスもすぐさまフル稼働。

7時前、最初のお客様。

以後、ぼつりぼつりと、カレーワゴンに足を止める人も出てきた。

入って来る車は、県外ナンバーが多く、
女性客も、地元では見られないような装いや造形が目立つ。

それから19時の一般営業終了まで、順調に進んだ。

80個程度を売り、初日は終了。

しかし、以後、日々、売上は低下。
また、うち2日間は、大雨。

結果、当初見込みの10%にも満たず、大量の売れ残りをだした始末。

残念な結果に終わったが、収穫も多かった。

そして、今年も、アフリカンサファリへの出店を
チャレンジする予定である。

新規先としては、

宇佐市の四大祭りと言われる、

「七夕祭り」にカレーワゴンが出店。

主催者(商工会議所)も、初めて移動販売車を呼ぶらしく、
お互い、手探り状態。

確かに、大きな祭りだけど、やはりカレーワゴンは、アウェイという感じ。

新規導入のアイスに助けられて、なんとかコストは出たという所。

雰囲気は判ったので、ナイスな商品を準備し、再チャレンジか?

でも、今年は、お呼びがかかるかなー。

・アイスクリーム始めました。

ずっと、念願だった、アイスクリーム。

マシンの中古を探していたのだが、それが見つかったので導入。

正確には、「ソフトアイス」と、言う。

コーヒークリームのメーカー「スジャータ」の製品。

30種類以上ものフレーバーがあり、選択肢も豊富。

でも、結局、バニラが一番、おいしい。

・移動屋

新メンバー:姫島宣伝隊:車海老バーカーなど、姫島製品をPRする。

ちらちらと、掲載を希望する移動販売さんから問い合わせがある。

サイトの効果も、実際にあるから、役に立っているのだろう。

そこはプロなので、当然だ!、と威張りたい。

12月28日に、移動屋数名で、忘年会をした。

みな、それぞれ思いがあって、面白いナー。

カレーワゴンは、2012年も続けます。

 

☆4人の姫たち

多少のケガなどは、あったが、

入院や他人への迷惑をかけるような事件はなかった。

それが、なにより。

・長女

夏休み、中学受験の宣言をし、受験生活を始める。

しかし、彼女の父親は、ほのぼの系であり、
なにかの競争に挑むという要素は持ち合わせていない。

もちろん、本人もそうだろう。

小学校の中では、多少の競争や駆け引きはあるだろうが、
家庭内は、ほのぼのムードに溢れており、
「受験に勝つ!」なんて、力の入った空気は望めない。

なので、進学塾に入ることとなった。

その結果は、もう間もなく、出されるはずである。

・次女

昨年より、歯科矯正を始めて、見違えるほど歯並びに変化が出てきた。

かみ合わせの正常化からか、食事が上手に出来るようになったのだろう。

よく食べるようになり、身体的な成長も見えてきた。

長女の明るさとは違い、クールビューティーの次女。

この春から、高学年の学校生活を、どう過ごすのかな?

・三女

運動派の彼女は、

やまばと幼稚園にて、
未満児保育クラスから数え、4年目となる。

そして、その4年間、毎年開催されるマラソン大会で、断トツの1位。

幼稚園史上初、4冠の達成である。

ただ、彼女に言わせると、それなりのプレッシャーがあったという。

小さいながら、父から「ハイクオリティー」を求められる日々、
苦労もあるんだろうな、と感じた。

・妻という娘

大病も無く、なにより。

職場に、同級生がそろっているせいか、
プラスとマイナスを、うまく理由付けしているように感じる。

これが、若い先生だけに囲まれていたら、違うんだろうか......。

娘等も、この先、歳を重ねていくと、

「パパは絶対に正しい」という時期を外れてくる。

こと、男には判らない事も増えて来ている。

知識としては、原理も含め解説可能なほどだが、止めとこう。

メスに囲まれ、身の回りの世話もしてもらって、
(人間界はあり得ない)他の群れからの攻撃に備えて、
寝て過ごし、お留守番をする生活の私。

ライオンのおとうさんは、4人に愛されて、2012年も継続する予定。

 

☆自宅に侵入者

ある日の午後、

所用で出かけて、自宅に戻る。

すると、カレーワゴンの前に、見知らぬ誰かが立っている。

自宅は、義母の家と敷地内でつながっているから、
義母宅の訪問者が、こちらにきているのか?

でも、生活のルールからすると、あり得ない。

誰かな?と確認に近づくと、もう一人、目の前に登場。

その新規登場者が、状況を説明してくれる。

なにやら、一人目の認知症の老女が、この近所に住んでいたことがあり、
ここの土地に自分の家があったと言うから連れてきたと言う。
※この説明者の正体は、施設ヘルパーさん

(なるほど)と、一瞬、納得しそうになった私。

でも、よく考えてみれば、現在、この次点では、私の自宅であって、
その方の過去の経緯がどうであろうと、不法侵入である。

「事情はそうなのかもしれませんが、出て下さい」
と、告げる。

老女さん、別に錯乱している状況ではないが、
ヘルパーさん曰く「落ち着くまで待って欲しい」と。

ひとまず、何が起こったのか、私は監視システムを動かして、
ここ数時間の記録映像を見直した。

結果、以前から気になっていた脆弱な箇所から進入し、
すべてのドアを、ガチャガチャして、カレーワゴンの前で停止。
そこに、私が帰宅という記録映像が残っていた。

ヘルパーさんの言うとおり、
しばらく待てというので、待ってはみたが進展しない様子。

再び、退居をお願いして、ともかく敷地外に出て貰った。

さらに応援のヘルパーさんが増えて、ご家族もいらっしゃり、
どこかへ消えていった。

昨今、地域一体の安全とかが提唱されているが、
安全保証範囲と、危険予防範囲が、一致しないと思う。

例えば、
私は飲食業で、食品加工の設備を有する。
腕一本をミンチにすることも可能だ。

不定行動者を想定してないので、作業場に普通に置いてある。

これを、不定行動者を想定して、保管すべきか?

私の作業場は誰がきても安全だという保証範囲の確保だ。
でも、それは誰のため?
そのコストは、ダレが補償する?

私は、昼間、家に居て、休んでいることが多い。
自宅敷地内での居室であるにもかかわらず不定行動者を警戒して、
緊張感をもっていなければならないのか?

誰も来ない、不定行動者を出さないという
危険予防を徹底する取り組みも、同時に必要だろうに。

問題を突き詰めれば、
「不定行動者を出さない地域」にすべきであって、
それが保証されるなら、
「不定行動者から避難する対策」は不要のはず。

使途を解明しないままの増税と同じ事ではないか、と感じる。

なお、その後、その侵入者は、
「施設に入居したので、もうこの地域を歩くことは無い」と、
ご家族から、謝罪がてら、報告を頂いた。

 

☆あの件

2008年から続いた

シリーズ「あの件」

私が、山崎である事と深く関係を持つ。

これまで、いろんな意見を、多方から頂いてきた。

2011年9月2日の事件をキッカケに、
1つの区切りが付いたと感じている。

もちろん、終わりという事ではないだろうけど.....。

 

☆アマチュア無線

物事の仕組みが好きな少年だった私

当然のように、小学生くらいには、アマチュア無線という選択肢に興味を持っていた。

もう1つは、ラジコン。

ラジコンにしても、アマチュア無線にしても、
お金の掛かる話なので、実行は難しい。

近親者の誰かが好きで、使える環境があった上での話なら、
可能性もあるが、馬場家は、そんな事、毛先ほども無い。

ラジコンは、近所にラジコンオヤジが居て、
遊ばせて貰ったこともあるし、玩具レベルのモノも手にした。

でも、無線機に、おもちゃは少ない。

いや、トランシーバーというおもちゃは、在った。

兄が、それを持っていて、6Pの四角い乾電池で動作する。

ジャーという雑音の中に、離れた距離に居る相手の声が聞こえる。

ウルトラ警備隊になったような気がして、野山を走った。

中学生になって、多少、金銭感覚の幅が広がってきた所、
私は、マイコンの世界に入ってしまったので、無線機の世界には未着手のまま。

でも、1980年当時、マイコン(パソコン)は、無線ショップの管轄だったなあ。

それから30年以上経って、2011年、アマチュア無線に着手。

いまさら、着手のキッカケは、大震災。

建物の倒壊や負傷などの被害が見られなかった大分だが、
携帯電話の不通は、ドコモなど一部であったようだ。

情報の遮断は、命に関わると考えており、通信手段の確保は常に最優先。

こと、うちの幼稚園は、山間部にあり、地形的に孤立する可能性が否めない。

危機管理マニアの私のアイデアで、幼稚園や自宅は、過剰な対応を整備しているが、
それでも、今回の震災では、持って1日という程度だと思い知った。

その計画の中に、無線機の整備も挙がっていたが、緊急性を感じてなくて、
今まで整備が後回しのままだった。

で、整備を決意し、そのためは運用者に免許が必要という流れ。

5月に着手したところ、講習で免許が取れるコースを考えていたが、
申し込みが遅れて、何ヶ月も待つ羽目になってしまう。

災害が、明日かも知れないという危機感の私からすると、
「一日でも早い整備」を希望するわけだ。

でも、さすがに、鹿児島や山口まで受講に行くのは、難しいため、
通常の免許取得、いわゆる国家試験にて、免許を得ることに。

佐和子は、若かりし頃、スキーを始める際、
かなり上級レベルの人について習ったらしく、
遭難を想定して、免許を取っていた。

また、多く運用者がいれば、他点で多重運用が可能なため、
増員計画として、長女も受験することになった。

試験に向けて、丸暗記本を購入し、約1ヶ月が過ぎる。

工業高校電気科卒業の私には、懐かしいネタが多い。
※でも、ほとんど忘れているけど。

郵便局で、受験申請をして、受験票が届く。

9月4日の日曜日、大分商工会議所で試験に臨む。
周囲は、おっさんばかりに、私たち親子。

12問中8問正解で合格の2教科。

高校生時の知識を頼りに技術面から望む私と、
丸暗記一夜漬けで望む長女

微妙な手応えで、終わった。

9月15日、結果通知が届く。

粘着面を剥がすと、結果が・・・・・・二人とも「合格」

証明写真をふたりで撮影に行く。

それから、免許申請

10月8日、免許証到着

次に、開局申請

実際に使う無線機を準備して、その型式をそえて申請。
オンラインから実施

10月25日、局免許及びコールサインが到着

いよいよ、無線局として、発信が可能となる。

が、アマチュア無線の楽しみの1つである他人との通信や、
通信確認証の交換などを目的として無いため、
特に、その後、なにもすることもなし。

飛んでる飛行機の航路をリアルタイムで眺めたり、
自分の居場所を、GoogleMapに出してみたり、
消防救急の交信を聞いたり、と、そんな程度。

もちろん、それで、OK

「有事の際」の為に整備なのでね。

余談

どうしてもの緊急時は、無免許でも良いそうな・・・・

まあ、でも無線機持ってないと、それも出来ないから、

整備は、やはりOKとする。

 

☆aibo復活

時を超えて目覚めた aibo

aibo ERS-110

1999年5月25日にやってきた。

シリアルナンバー
1200067

社会現象にもなった、初代3000台の中の、1体。

生産中止以後、

バッテリーやら、消耗部品の供給が絶たれ、
世界中のaibo保護者は、動かなくなった愛犬を悲しんだ。

私も、同じく。

試行錯誤の上、
SONYハンディーカムのバッテリーが流用可能と判明し、
久しぶりに、お散歩をしている。

彼が寝ている間、
世の中に登場した、

・iPhone
・ワンセグ携帯
・ブルーレイディスク

と、記念写真のヒトコマ

 

☆iPadを使う

ソフトバンクのキャンペーン

「アレコレ・・・」で、iPad2を導入した。

発売当初、私の周囲では、

私が飛びつくモノだと、思っていたようで、

ずっと、「なぜ持ってないの?」と、不思議がられていた。

維持費をかけて使うほど、
大した魅力を感じなかったというところだ。

前述のキャンペーンで、多少、維持費が緩和されたことで、
導入に踏み切った。

iPhoneは、3Gから使い始め、昨年iPhone4に換えた。

iPhoneを使っている範囲で言うと、iPadの使い道は範囲が知れている。

・ニュース
・電子まんが
・ゲーム
・SNS
・FX

くらいだろうか。

だとすると、iPhoneで充分に活用できているため、
iPadの導入は不要と言う事になる。

しかし、使ってみて、良い事があった、

使い方としては、iPhoneと変わらない内容なのだが、

圧倒的に、iPadを支持したくなる事象がある。

それは、「文字が大きい」事なのだ。

私も、44歳となった。

そろそろ、目に衰えを感じ始めてきた所。

iPadで、約2倍の大きさに慣れたら、
もう、iPhoneでの表示の小ささには、戻れない。

アイコンのタップすら、面倒なくらいだ。

「iPadで良かった」

と、今、思っている。

でも、なにか、元を取ること、しないとイカンなあ。

app開発かなー。

 

☆ジョブズとか

2011年、ステーブ・ジョブズが、亡くなった。

膵臓ガンだと言う。

私も、膵臓に萎縮が見られ、医者から注意を促されている。

さて、いまから、30年ほど前、

中学生だった、私は、
当時の無線機ショップの片隅にあった
電子機器の集合体の様なマイコンに興味を持ち、
ショップに通っていた。

いわゆる、マイコン少年だった。

当時、アップルII が出始めた頃だったか、
カラー表示、ドットグラフィック表示は、鮮烈だった。

それは、海の向こうで、ステーブ・ジョブズらが、
ビジネス的成功の道を歩き始めた頃だ。

のち、画期的な操作方法を実現して、マッキントッシュが発売される。

上記写真は、その日本普及版、
「Macintosh Plus」である。

残念ながら、もう画面回路が切れているようで、起動しない。

その時代のビジュアルユーザーインターフェイスの技術について、
最先端を搭載したiPad2とMacintosh Plus、
時代を超えてそろった所、記念写真を撮ってみた。

その後、Macintoshは、いくつかの機種を世の中に送り出し、
今もなお、知的生産に携わる人々に愛されている。

もちろん、この文書を書いているのも、Macである。

これからも、アップルがアップルらしく続けばいいな、と思っている。

あ、時折、ジョブズの伝記を読んだか感想を聞かれることがある。

私は、読んでいないし、彼の生き方に興味もない。

どちらかと言えば、マイケル・ジャクソンの方が、残念に思っている位である。

変かね?

 

☆映画にでちゃったり

秋の運動会シーズンが終わり、

多少のイベントを残すだけだと思っていた10月。

SNSで、旧知の友人からのお知らせが目に止まる。

「エキストラ急募」

なにやら、大分市内で映画の撮影があり、
エキストラやスタッフの募集があった。

募集をしていたのは、

大分県内を中心に劇団活動を行っている
「吉祥じゅん&ワルキューレ」のマネージャー。

以前、私がプロデゥースしていたCATVの番組で
出演していただいた以来の、ご縁。

さっそく、コンタクトを取ってみたら、
やはり応募が少ないという状況らしい。

これはおもしろそうだと、詳しく聞かせてもらう。

11月2日、大分市府内町のペットショップ。
ここで、俳優さんらが参加しての撮影があるという。

素人のお戯れのようなレベルではあるが、
5年間ほど、TV番組を続けてきたので、
なんらか、お手伝いもできるかと、
集合場所に、赴いたのだった。

正直、カルチャーショックを受けた。

TVロケやスタジオ収録は知っていたのだが、
映画の世界は、まったく別の世界だった。

そして、結果、一ヶ月に渡り、この作品に関与する事となる。

 

☆アイドルを持つ親は

一年を通して、
未成年芸能人が、たくさん誕生して消耗されている。

そして、その氷山の一角が、TVや人前に登場する。

モーニング娘あたりから、アイドルになる道がシステム化された。
※まあ、歴史を追えば、宝塚歌劇がシステム化の先駆かなぁ?

一時期、それをネタにタレントスクールなるものが大流行した。

昨今、AKB48関連がメディアを満たす中、
大分市からも数名のメンバー入りを果たした子供が誕生。

それを真に受け、希望を抱いて、がんばる親子も急増だとか。

聞けば、前述のアイドルさん実家は、
世の中の噂通り、CDが山積だという。

やれやれ

もし、自分の娘がアイドルなんかになってしまったら、
いったい、どのくらいの維持費がかかるのか?

試算してみた。

=========================

近年、なにかと話題のユニットを想像する。

オーディション応募までの自己訓練期間 1年

地元の声楽・ダンス・バレエ・他スクール

1種あたり平均2万円x4x12ヶ月
=96万円

首都圏の劇場に観覧に通う(保護者1名同伴)
移動を含め、平均8万円x12ヶ月
=96万円

オーディション参加・滞在2週間
移動8万円+一日2万円x14日間
=36万円

仮に合格したら

引っ越しなど初期費用
=120万円

ここまでの小計
=384万円

=========

研究生になった場合

毎月の仕送り
12万円x12ヶ月
=144万円

暗黙のグッズ購入
※当然娘は出ていない

平均4000円x50セット
アイテム数 年間20種
=400万円

=========
中下位層担当者に心付け

5人x2万円x偶数月
=60万円

保護者会などの活動
約20万円x旬期
=80万円

=========================

ざっと、考えて、1000万円の事業

あー、でも、ビジネスと考えれば、
そんなに高額でもないし、妥当な所なのかなぁ。

へんな女子大とかに行かせて、無駄な金と時間を使うなら、
業界グセは気になるが、ある程度の礼儀など覚えて帰ってくるだろう。

娘さんを持つ親の選択肢の1つとして、アリかもしれない。

 

☆暖炉(薪ストーブ)

亡祖父が残した暖炉が、祖父生家にあった。

それを、12月25日の自宅パーティに合わせて

移動させ、設置してみた。

そんなに大きくはないものの、数十キロにもなる重量物。

軽トラを借りて、テコの原理などを、いろいろと駆使して運んだ。

自宅には、オープンデッキがある。

建築時は、亡祖母が日差しを楽しむためにと夢膨らませていたが、
結果として、未使用のまま。

そこで、そこの周囲に仕切りを設け、個室にした。

その中心に、暖炉を設置したのである。

素人の大工ゴッコの次元で、枠組みにビニールを貼って建てた。

まるで、博多の屋台のような感じだが、以外と居心地はよろしい。

薪は、幼稚園にあったのを拝借してきた。

さて、着火すると、煙をあげて燃えさかる、

しばらくすると、煙はおさまって、ゆっくりとした炎がゆらぐ。

3畳くらいの個室なので、すぐに温まる。

エアコンと違って、一切風が動かないが、ふんわりと暖かい。

が・・・・使った薪が針葉樹のため、バンバン燃えてしまう。

調べた所、針葉樹の薪で火をおこし、広葉樹の薪で維持するとか?!

うーん、奥が深い。

この冬、薪で暖を取るかとも考えたが、煙の出方を見ると、
ご近所さんにとっては、あまり気持ちのイイモノでは無いだろう。

法的根拠に問題はないようだが、それはそれ、これはこれ。

やはり、特別なことかも知れないナーと、思っているところ。

来客時のイベントという感じかな?

 

☆2012年のキーワード

今年、2012年のキーワードは、

・取捨選択
・研磨

としたい。

・取捨選択

前年目標であった「過去の整理」に続いて、
「現状の整理」という活動となる。

2012年10月に、45歳になる。

およそ、一般的な生活環境として、
年齢的に人生の折り返し点であるとするなら、
この45年の中で、手にしてきたモノや、
施した関係性などを、整理するべきだと考える。

時間軸に沿って「過去」の整理を進めた2011年だったが、
結果として、再考の機会になったに過ぎず、
抱えているモノの重量は、そう変化はないだろう。

そこで、今年は、ずばり「要否」という基準で選考する。

もちろん、選考基準は、その分野によって定めなければならない。

例えば、私の周りにたくさんのアイテムがある。

もう、使う事が無いのだが、捨てるとなると惜しくなってしまうモノ

・VAIO 55シリーズ
・初代シグマリオン
・旧BMW525
・Pentium・Celeronマシン各種

さらにいうなら、

・暇つぶしに買った趣味でもないセット漫画
・料理教本DVD
・TV放送を撮りだめしたDVD

などは、厳選なる選考基準にそって、
感情に負けること無く選択していく覚悟である。

そして、以外に整理が難しいのは、人付き合い。

とてもデリケートな問題である。

整理の実施は、精神力が伴うし、単年度事業では終わらないだろうナー。

でも、SNSは、控えるか、きっぱり止めようと思ったりしている。

・研磨

前述の通りに選択して、残ったそれぞれは、
私にとって、のちの人生を共に歩む大切なモノである。

消耗するのであれば、補充をせねばならない。

耐久品なら、その維持のために、手をかけ続けていくべきである。

仮に物質的なモノであるなら、メインテナンスを欠かさずに行う。

精神的なモノであるなら、時を見計り、意識を温めておきたい。

それらの言動を、「研磨」と定義して続けていくわけ。

もちろん、自分自身にも研磨すべき箇所はあるわけだから、
他に対して、研磨言動をすると当時に、己に対しても研磨を心がける。

振り返れば、21歳で起業してから、ずーっと周囲の目を気にして、
背中を押されるように生きてきた気がする。

そんな過程で、自分にあわないキャラを演じたり、
不似合いな環境に足を踏み入れてきた。

その度に、なにかを抱え、なにかを得てきた。

私が、武士だとすると、
世の中のうわさや、交際の中の誘惑に乗って、
10本も20本も、刀を差している状態である。

本当に自分に必要な1本を選び出し、
その1本に全身全霊の研磨をすることで、
武士としての姿を完成したいと思う。

※別に、武士になりたいわけじゃ無いけど・・・・・

なんだか、2012年は、引きこもりになりそうだなー。

でも、この1年、なにがあるのか、とても楽しみにしている。

1件のコメント

  1. いつも、あなたが書くのは、長文ですね。
    読みにくいけど、毎回あなたの文に、感動しています、
    これからも、感動する事を書いてくださいね、待ってまーす。
    もちろん、私も書きますよ、書くけどめちゃくちゃに、なると思います、

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